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行動は言葉で出来ている

「でも」なんか知らんけど小さい頃はこれを口にするだけでこっぴどく叱られていた気がする。デモもストもない!だってもヘチマもない!それにしてもヘチマの扱われ方ってなんか可哀想だな。
「でも」大人になってみると確かにちょっと嫌な響きの言葉ではある。だいたいその後の展開が間違いなくネガティブなものになるし、会話にもしなやかさは感じられない。

なんと言ったら納得するのか模索しても、はなっから聞く耳を持ってない人に対しては、一旦その人ごとめんどうくさいフォルダに格納することにしたている。

否定することが癖になっている。
打開策が無い訳じゃないのに。
そんでもって、会話の中からヒントをさがせるほど有能な人ではないんだよな。
なるほど、できる方向にもっていかないという事は、むしろそうしないですむ言い訳を探してたりするのだな。


でも~唐揚げにはハイボールじゃないですか
はー、ビールとかじゃだめなの?

でも~基本ハイボールじゃないと美味しく食べられないじゃないですか
へー、じゃあいっそ唐揚げを食べないって選択もあるけど

でも~唐揚げ食べたいじゃないですかあ
ほー、そしたら店をかえるっていう選択肢もあるけど

でも~そしたら唐揚げの美味しいお店に来た意味ないですよね
そんで、ここハイボールないんだよね。

ジェンガのように後ろ向き発言を組み上げてみる。
言葉遊びとしては結構面白い。でも「でも」の世界には出口はない。
ふりだしに戻っているどころかタワーが崩れかけていることに早く気づけ。


(170日) 

#エッセイ #コント部 #僕なりの幸福論 #毎日note #でもって言う人

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