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「センス・オブ・ワンダー」を読んだ

インドアを好む自分にとって新型コロナ禍のリモートワーク疲れは無縁の現象だと思っていた。思っていたのだけど、じわじわと何かが蓄積されていっていて、どうもギリギリのバランスでなんとかやっていたということに、体の不調で気づくことになった。

そういったアンバランスを解消するために、とりあえず「朝の散歩」をはじめてそろそろ半年くらいになる。暖かな季節は朝早く、肌寒い季節は日が十分登ってから家を出る。ルートは特に決めないが、ちょっと歩いたところにある神社を通過するように、その日の気分に合わせて歩きたいだけ歩く。

そういう日を続けていると、知らない道が多いことにまず気づくようになり、気の向くまま裏路地に入っていくようになった。家のこんな近くにこんな場所が…と思うような発見をしたことが誰しもあると思う。

地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとにであったとして、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへ通ずる小道を見つけだすことができると信じます。

レイチェル・カーソン「センス・オブ・ワンダー」

やがてシンプルに植物の存在感が強くなってくる。毎日毎日、同じような場所を歩いていると「こんなところにこんな花があったかな?」とか「いちょうの葉が水たまりに落ちるとやたら綺麗だな」とか些細な違和感を覚えるようになるし、自分以外の誰かの他の人間の善意によって維持されていることにも想像がいく。

「センスオブワンダー」はアメリカの海洋学者でありベストセラー作家でもあったレイチェルカーソンの著作で、Amazonのレビュー数をみる感じでは有名な本なんだと思うのだけど、僕は全然知らなかった。偶然に任せた散歩の足を伸ばしている際に、たまたま手に取った本がこれだった。

レイチェルカーソンは「沈黙の春」で、殺虫剤による地球の環境汚染を訴えたことで有名らしい、1962年に発刊されたその本はアメリカ中に衝撃を与え、大きな論争になったそうだ。彼女自身については「ちくま評伝シリーズ『ポルトレ』」を読むことで等身大の人生を知ることができる。

「沈黙の春」で抒情的でありつつも強い口調で地球破壊を続ける人間の愚かさを解いた彼女の、より人間的で優しさの溢れる本、そして人生の最後に伝えたかったであろうことが「センスオブワンダー」には記されている。それから60年以上たった今にいる現代の自分たちには耳の痛い部分もある。

この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、変わらぬ解毒剤になるのです。

レイチェル・カーソン「センス・オブ・ワンダー」

ちょっと前の自分には理解できなかったであろうことが、コロナ禍の生活を通して、少しづつではあるが効いてきて、自分にバランスをもたらす存在として自然を自分なりに楽しむようになっている。自然を不思議だと思う感覚に気づく時に少しバランスが整っているように感じる。

周りの人たち、通りすがりの人たちもバランスを保とうとしたり保てなくなったりするのを目にする機会が増えた。そういう人たちにとって何が解毒作用をもたらすのか僕にはわからないけど、センスオブワンダーは方向性のひとつとしておすすめできる。図書館で立ち読みできるくらいの長さですし。

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