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【ふなログ565】「継続」と「向き合う」ことを過小評価していないか?


先週末の土日は、
2日間とも、夕方に約10kmランニングしました。

平均速度1kmあたり7分20秒。
平地で一番速い時は、1kmあたり6分11秒。
急坂で一番遅い時は、1kmあたり約8分。

急坂では心拍数が170拍/分まで達することもあり、
太腿はランニング直後から筋肉痛、
回復まで2日もかかりました。


今の私では、
どうやらまだまだオーバーワークだったようです。
継続することを重視したいので、
急坂のコースは当面減らして平地だけで継続しようと思います。


昨日、
ITインストラクターのお仕事で、
受講生と「継続の大切さ」についてお話しする機会がありました。

受講生のお悩みとして、
レッスン直前や直後では、モチベーションが上がるが、
段々と中弛みしてくるのでどうしたら良いか?という話でした。


モチベーションを上げることよりも、下げきらないことの方が大切。
下げきって完全にストップしてしまう方を恐れた方が良い。

そして、人間は感情の動物なので、
モチベーションが上がったり下がったりするのは、
「そういうものだ」と自覚することから始まるのでは?
と私は答えました。


自分がモチベーション上げ上げの時は、
誰だって嬉しいですし、
「なんでもやってやろうぜ」という気持ちになります。

その反面で、
自分のモチベーションが下がっていることを知ったり、
そういう状態に在ることを嫌う人は多い。

そもそも、所詮感情に過ぎないので、
誰だってモチベーションが上がっている時ばかりでなく、
むしろ、上がっていない時に
「当たり前のことを淡々と継続できるかどうか?」
で、その人の運命が大きく分かれるのです。


たかだか、
1日数10分、数時間学習したところで、
短期間で捉えれば、大差もなく現れる成果もたかが知れています。
そこだけ見てしまうと、
「ちょっとサボってもいいかな」となりやすい。

しかし、
その1日数10分m、数時間を数ヶ月、半年、
1年間、数年間継続していたら、それは大きな差になるのです。


多くの人は、
目の前の一歩を過小評価し、モチベーションが上がらない時に
その一歩を後回し、先延ばしにする傾向があります。

ここで、捉える時間軸を長くしていけば、
決して、
その目の前の一歩が過小評価できるものでないことに気付くのです。


もし、
「モチベーションが上がらないなぁ」
と、重い腰が上がらない場合は、
少々長めの時間軸で今を捉え直してみると、
やってみようかな、となることが多いです。

重い腰さえ上がって着手さえしてしまえば、
あとは、転がる石に苔が生えないぐらいの勢いに
身を任せてしまうことができます。


冒頭のランニングの話は、
むしろ逆で、一歩を過大評価し過ぎて負荷をかけ過ぎ、
継続が危ぶまれるようなケースになります。

そんなことを、今日書いたのは、
私の中で、大きな課題を抱えており、
その課題を長い間直視せず、諦めていたことを思い出したからです。


課題が大き過ぎて、
自分の力を過小評価し過ぎてしまっていた。
しかし、
もう一度少しづつ課題に向き合ってみようと、
ここ数日チャレンジし続けていました。

相当なストレスがかかっていましたが、
直視していなかった時に感じていた「居心地の悪い焦り」とは異なった、
「腹の座った落ち着き」を感じるようになりました。


今の私として、
「攻める」ことばかり考えていましたが、
実は「守り」も積極的に行なっていく時期であると知りました。

「守り」は地味なのでどうも忌避してしまう私なのですが、
そこを疎かにしてしまうと、
やがて破綻してしまうことも内心知っていたのに、
向き合うことから逃げていたのです。


しかし、
具体的なことは書きませんが、
向き合うのは容易ではないですね・・
腹を据えて突破口を開くしかないです。


そんな時、
最近拝読している本でこの言葉が思い浮かぶのです。

目の前は絶壁で、もう突破できないと勝手に妄想しても、実は絶壁なんかじゃなくて、障子紙が貼ってあるだけかもしれません。
私は若い頃、部下の技術者たちによく言いました。「突破できると、何で思わんのや。唾をつけてみい。障子紙なら穴が開くやろ。それもせんで、あかんと思うな」。そういうケースがあまりにも多い。もし本当に岩やコンクリートだったとしても、どうよじ登ろうかと考えればいい。まずは、試みないと。
『経営者とは 稲盛和夫とその門下生たち』日経トップリーダー=編


「断崖絶壁」と妄想していることも、
実は障子紙が張っているだけかもしれない。
突破するために、ありとあらゆることを考え続け、取り組んできたのか?
と自問自答すると、、

絶壁に徹底的に触ってきたのか?
絶壁であったとしても、わずかに足を引っ掛けられるスキマがないか?
粘り強く探していたか?
と、胸の奥が苦しくなりました。


一度、ボルタリングの初心者版にチャレンジした頃がありましたが、
一見登れなさそうに見える壁でも、
わずかな突起に足を掛けることができたり、
そういった場所を探すのが結構楽しかったりするのです。

今年の夏にチャレンジした富士登山でも、
岩場を登ったり降りたりする時に、どこに足を置くか?
身体の重心をどうするか?を考えながら取り組み、
これが、結構頭を使うスポーツなんだな、と楽しみを感じました。

私にとって
「登山=知的遊戯」
と言えます。


一見、困難に見えることも、
少しづつ向き合いながら、考え続けていけば、
何かしら突破口が見えるかもしれない。

100%思い通りではないにせよ、
そうしない場合に比べて、遥か先まで前進できているはずです。
予期せぬ展開もあるかもしれません。
最低限でも、精神的な成長は遂げることができているはず。


だから、
時間を味方につけた「継続」と「向き合うこと」
これが、困難に対する突破口だと感じています。


それでは、
今日も素敵な1日をお過ごしください。

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