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【ふなログ282】例えば「生きてるだけでも丸儲け」と「もっとマジメに生きます」が交差してもいいじゃないか。と思える人生を


先日の金曜日は、
コロナワクチン接種(モデルナ2回目)してきました。
この日と翌日土曜日は、
計画的に「休日」とさせて頂きました。

午前中接種し、
よゆーじゃねーかと
昼は悠々自適に過ごしていたのですが、
夕方眠くなり、
23時頃に寒気がしてきて発熱。


37℃!大したことないな!
翌朝治るだろう
とそのまま寝入ったのですが、
翌朝も37℃のまま。

土曜は一日中活動休止して
23時に下熱しました。
しかしその後頭痛が半日続き…

まる24+12時間、微熱と頭痛で活動休止。
なんか、緩めな副反応でした。


1回目は副反応が全く出なかったのですが、
どうせだったら、
パッと高熱出して3〜4時間で治るくらいが良かったのに、
などと不謹慎なことまで考えてしまった。
(もちろん他意はありません)

ともあれ、
「生きてるだけでも丸儲け」(明石家さんまの名言)
であることは変わらない。


頭痛が治まった後、
知る人ぞ知る
「日本酒大好きな弁護士(!)」さんと
zoomで対談させて頂き、元気になりました!
有難うございます。

もし、宜しければその時に学んだ気付きを
次回書かせて頂きます。


ということで、
今日書かせて頂きたいことは、
「生きてるだけでも丸儲け」ということ。

人間、
「生命の危機」に晒されると
正直になると言われ、本性が出るとも言われます。

言葉は慎重に選ぶ必要はありますが、
「子孫を残す」
欲求にも駆られるとも言われます。


今から10年くらい前に
インフルエンザに罹患した時、
40℃の高熱を生まれて初めて経験しました。

その時は意識が朦朧としてしまいながらも、
こんなことが脳裏によぎりました。

…もし熱が下がりましたら、
もっとマジメに生きますので、
生命だけは奪わないでください

などと。
大真面目にそんなことを考えてました。


『鬼滅の刃』の冨岡義勇に、
「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」
と一喝されても仕方がない有り様。

大真面目に考えているのに、
不思議と「子孫を残す」欲求だけは
1ミリも動かなかったのが不思議なくらい。

バイタリティが悲しい程まで
奪われていた証拠なのかもしれません。


しかし、
「死期が近い」「自分はいつか死ぬ」
ということに
臨場感を持って生きている瞬間が
どれだけあるか?と自問自答すると、

一生のうちに数回あるかどうか?
と、
ほんの一瞬の時間に
過ぎないのでしょう。

いや、正確には
「喉元に刃を突きつけられるくらいの状況」
でなければ、
有り得ないのかもしれません。
あとは、臨死体験とか。


平和な今の世の中。
有り難いことに、
そんなことを能天気に考えている
余裕のある自分が

どれだけおめでたいか?
そして、どんだけ恵まれている立場なのか。

死を目前として正直な気持ちとして
「今度はマジメに生きますから」
という切実な願い。

次にそういう時に遭遇した時に、
また同じことを願うのだろうか?



人の本性として
ある程度仕方がない部分があるにしても、

もう少し変わっていたい
もう少しマシになっていたい
もう少しカッコ良く死にたい

などと考えている
現在の自分は
なんとおめでたく有り難く
恵まれた存在なのか。


死ぬ瞬間はコントロールできない。
しかし、
死ぬまでの生き様くらいはコントロールできる。


3年前、
FXで大金を溶かした後、
眠れない日々が続いて
どうにもやり切れず
スマホにコッソリ「遺書」を書いた時、

つらつら家族に
お詫びの言葉を書き続けた後に
「死んで償います」
という言葉を書いた瞬間、
我に返った時がありました。


え?「死んで償う」って
どういうこと!?
おかしくね!?
死んだら何も出来ない。
ムリでしょ。

バッカじゃねーの。
死ぬなら償ってからじゃないのか。
順番逆でしょ。

と、一人夜中で
ボケツッコミをかけて
眠りに落ち、
その「遺書」は
誰にも見せることはありませんでした。
(今後も多分)


…まだ償いきれてませんけどね。

「生きてるだけでも丸儲け」という言葉は、
この時を境に
特に染み入る言葉となりました。


少なくとも、自分にとって
償いきれた時は

「もっとマジメに生きた」
ひとつの
「ステージクリアの瞬間」だと思うのと、

「始まりの終わり」
でもあり、

「新しい人生のスタート」
でもあるのだろう。


「もっとマジメ」のもっとは、
一生解除されることはないだろうし、
解除する理由もない。

たとえカッコ悪くても、
死ぬ瞬間に
「もっとマジメに生きたい」
と思ってもいいと思う。

しかし、それと同時に
「それでもマジメに生きてきたよね」
と納得できる自分を目指したい。


嫌だけど、たとえ
死ぬ瞬間が無様であっても、
後ろ指刺されるような
シチュエーションであったとしても、

そのくらいは
思えるような生き方くらいはしたい。
(身も蓋もない話、即死じゃ勿論アウトですが…)

そのマジメさとは、

他人に対してどう関わってきて、
どんな影響を与えてきて、
喜んで頂ける存在になれたのか?

おそらく、これは
決して大袈裟な話でもない
「僕の大きな余生の課題」なのだと
と振り返ってしまうのである。

そのための日々の行動を、
徹底的に振り返らないと。


メメントモリ
(死を忘ることなかれ)

ここで、
「終わりの始まり」として、
大きく人生を振り返って意味付けを与える
タイミングを意図的に作り、
自分の生き方を「再定義」していく。

ここに、
いまの自分の働き方とか
これからの働き方とか
稼ぎたいお金とか
体験したい感情とか
感じたい幸せなど
改めて紐付けていく

と改めて決意を固めていきます!

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