【ふなログ613】「朝活」嫌いな私が、「朝活」を始めることになったワケ。
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最近、毎朝起床すると
清々しい気分で目が覚めます。
「なんか、上手くいくんじゃないの?」
みたいな感覚です。
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お恥ずかしい話、
毎日「第一領域※」的な作業とかに埋もれている日々を
相変わらず送っているのですが、、
※第一領域:
「緊急かつ重要なタスク」(引用元:『7つの習慣』)
「こいつらを片付けた先には、
必ず未来につながる仕事やご縁が待ってるぞ!」
と言い聞かせながら、
ひたすら「第一領域」を叩き潰しまくっています。
(乱暴な表現ですが、最新の注意を払いながら対処しています)
目線が上がると、
「第一領域」が可愛く見えます。
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人は時間、お金といった
「資源」「リソース」を使いながら、
日々生活をしています。
しかし、
時間やお金だけでなく、重要なリソースがあります。
それは「認知能力」です。
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朝目覚めた時は、
色々なことが出来るような気がするのですが、
日中から晩にかけて、割り込んでくる用件が頻発すると、
そんな「認知能力」が次第に削り取られ、
集中力が散漫になっていきます。
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また、
一時的にでも精神がざわつくような出来事が発生すると、
これもまた、
「認知能力」が出来事に引きずり込まれてしまい、
重要なことを忘れてしまったり、
必要以上に悲観的になってしまうこともあります。
これは、本当に勿体無いことです。
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つまり、
「認知能力」が生きている朝、または午前中にこそ、
少なくとも「1日の計」として、
「何を優先して取り組んでいくか?」
「未来につながるアクションをするために何を決めていくか?」
といった、
意思決定をバンバンやっていく必要があります。
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通常、朝が眠くてしょーがないですし、
私は朝は大の苦手です。特に冬の朝は寒い。
何十年経っても、
未だに「朝活」をやっている方々の気持ちを理解できません。
アイツら、マジでアタオカ(頭おかしい)なのか?
と(超失礼表現w)
(過去10年前、エセ「意識高い系」だった時は、やろうとして挫折を繰り返していましたので、その時の悔しさの裏返しなのだと思います)
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・・・いや、待てよ。
去年富士山に単身登山した時は、
朝の3時半に目覚めて車を2時間近く運転して
麓までたどり着いたのではないか?
朝早く起床したのは、
日帰り登山を敢行するためでした。
(実際、ギリギリでしたが御殿場口で登頂して日帰り登山できました)
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自分の中の「朝活」の定義を
変えていく必要がありそうです。
見方を変えると、
自分は案外できるんだぞと。
(これが「朝活」以外の話ではないはず)
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「朝活」→「意思決定」→「未来に繋がるポジティブなアクション」→「一日終える時の充足感」→「数ヶ月ないし数年経つと、これで良かったという成果が現れてくる」
という、
素晴らしいスパイラルに・・・
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そんなスパイラルに繋がるまで、
「朝活」という言葉の意味付けを変えていく。
「朝活」することは目的ではない。
重要なのは「朝活」の向こう側にあるんです。
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そこで昨日の朝、
早速友人開催の「朝活」に重い腰を上げて
ようやく参加してきましたw
(先週は逃亡しましたが・・・)
重い腰で参加しましたのでしたが、
想像を超えて清々しい1日になりました。
目線が高い仲間と、あさイチの時間を共有する、
たった45分間でしたがその後の調子がすこぶる良いです。
油断すると、
土日は「メンテナンス日」などと
称して緩み切ってしまいますからね・・・
繰り返しますが、
目線が上がると目の前の諸問題が「乗り越えられる課題」として、
可愛く見えてくるのです。
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「自己管理」は
字面だけ見ると「自分で自分を管理する」という意味です。
しかし、
他者と時間を決めた約束を入れることで、
他者を介した堅実な
「自己管理」の仕組みを手に入れることができます。
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自己完結で「自己管理」って、
本当に難しい、というよりも不可能では?という世界。
一見「自己管理」できているように見える人も、
実は周囲を巻き込んで
「自己管理」を成し遂げているのが実情だと思います。
口火を切って
「朝活」を企画してくださった友人に感謝です。
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そんなことで、「朝活」嫌いだった私も
ついに
毎週土曜日は「朝活」を断行することに決定。
「朝活」を経て、
私がどのように変化変容を遂げていくか?
優しく見守って頂ければ幸いです!
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それでは、
今日も素敵な1日をお過ごしください。
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