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【ふなログ671】「使う言葉」を決定的に変えてくれた富士登山!


ここ数日、
本業のITエンジニア業の仕事が楽しくて仕方ありません。
それは、
ここ3週間連続の富士登山のおかげ。


今まで、つまらなかったわけではありませんが、
力を出し切っている感がせず、
正直「守り」に入っていたんですね。


「なぜ、楽しくて仕方ないようになったのか?」
と言われると、その理由は
「ある場面で使う言葉」を徹底的に変えた
からなんですね。


ある場面とは、
「納期が迫った状況で方針変更を余儀なくされた場合」
です。

もちろん、そのような状況での方針変更は
ない方が良いに越したことはありませんし、
そもそもの話として、
そうならないようにしておくことが重要です。


しかし、とは言え
着手してから進めていく過程で見えてくること、
解像度が上がってくるのは当然。

良いことだけでなく、
都合が悪いことだって見えてきます。


最近、私が携わっている仕事は、
プロジェクトのルールもあまり明確に定められていなく、
割とエンジニア一人一人の裁量に任されていて、
必要に応じて関係者とコミュニケーションを取りながら、
柔軟な軌道修正が求められていたりします。


これまでの私は、
「アジャイルプロセス」と呼ばれる進め方ではなく、

上流から下流の作業まで、
きっちり決まっている前提で進め、
変更がある場合は、
しっかりとした手続きを経てから変更を行う
「ウォーターフォールプロセス」
の進め方の現場ばかり携わってきました。


しかし、よくよく考えてみると、
普段の私の生き方や考え方自体、
「ウォーターフォール」ではなく、その場の判断で
適宜ピボット、軸足を定めて方向転換するような

どちらかと言えば
「アジャイル」なスタンスに
移行していたことに気付きました。
なので、仕事にだって応用できるはず。

急な状況変化に文句垂れたり
机上の理想論、
「べき論」だけに固執しているヒマはありません。


納期間近で、
「この設計では動かない。調査して設計を見直して実装も変えないと」
という場面が、最近では何度も発生し、
久々の残業も何度も発生しました。


過去の私は、
そのような行き当たりばったりな状況が
納期間近で発生、残業が増えて高稼働になる度に

前任者の準備不足や、
管理者の計画、手回し不足、調整不足に不満を感じ、
被害者根性を蔓延させる挙げ句、
「やらされ感」で燃え尽きるまで仕事を遂行していました。
→その結果、メンタルも病みました


つまり、完全に「他責」の精神で、
自分が責任を持って全エネルギーを傾注して取り組む、
という姿勢を、自ら放棄していたのです。


もちろん、客観的事実を見れば
自分だけの責任ではありません。

しかし、
どんな人も完璧ではなく、他者に完璧を求めながらも、
その期待に沿わないからと言って、
自分が被害者になった気分になるのは、
これもまた、
「プロとしてどうなのか?」と、
徹底的に疑ってみる必要があります。


担当は、他でもない私だからです。

もちろん、自分一人の力では難しく、
他の人に分担できるものがあれば、
それを明確に決めて伝える。

それでも問題が発生したとしても、
「これは、俺でなければ越えられない問題」
「これはチャンスだ!」「面白くなってきた!」
と直ちに言い換えるのです。


「難しい」「ダメだ」「上司のせい」などという言葉を、
即「チャンス」「面白い」という言葉に
言い換えて駆逐するのです。


これ、本当に効くんです。
シビアな状況で、
土壇場に追い込まれた時だからこそ効くんです。


普段、土壇場に追い込まれるようなことなんて、
そうそうないので、そんなこと思いません。

しかし、
追い込まれた時にこそ「チャンス」「面白い」と言い換えて、
困難を乗り越えた時にガッツポーズしている自分を、
冗談抜きで鮮明に思い浮かべて事に当たることで、
ストレスどころか爽快感で、自分の力を出し切ることができるんです。

サラリーマンとしての仕事で、
そんな熱量、爽快感で仕事している人って、
そうそう居ないのでは?と思うと、余計に爽快です。
(ドヤっているつもりはありませんが…いや、ドヤってますね笑)


これは、先日からの
3週間連続の富士登山で学んだことでした。

特に山頂付近の「胸突き八丁」と呼ばれる
険しい山道を登る過程。

山頂が見えているにも関わらず、
酸素が薄い上に、
険しい岩の道を乳酸で披露した筋肉を
一歩一歩踏み出しながら

心が折れそうになりながらも「前に進む一択」で、
「日本で最も高い山頂」に
登頂できる自分イメージして進むんです。


「もう座り込んでいいんじゃね?」という誘惑に
負ける自分に勝つのは、
「前に進む一択」に決めた自分だけ。

そこには無駄な思考が入る余地は一切ありません。

そんな自分に打ち勝った末に
山頂の土を踏み締めた瞬間、
ブワッと何かが込み上げてくるのです。

もしかすると、
誘惑が強くなったりする辺りは、
めちゃくちゃ逆転のチャンスでは?

それを感じて勝った自分を、
自分で抱きしめたくなるのです。


過去に「他責」の精神で
逃げ続けてきた仕事に対して、いざ向き合った時に、
山頂付近のそんな内面の攻防戦を感覚として思い出し、

「これを越えれば爽快」「越えた俺は絶対にスゲー」
「これを文句言わずに達成できたら、必ず信頼される」
というイメージと確信が芽生え、

「こんな状況で、柔軟に設計を見直して対処できている俺って、マジすごいよな!」
という自己評価に繋がってきました。


もともと、設計は好きであり、
「より良い設計ができないか?」を真剣に考え続けて
勉強し続けていた時期があったので、

たとえ、こんなイレギュラーな状況であっても
「だからこそ、俺の真価が試されているんじゃん」と
納期前の状況を
心の底から楽しめるようになったのです。

お陰様で
普段の倍以上、技術的なことも学べています。


一見、仕事と関係ない
富士登山に、去年からハマっていいて、

去年は「所詮、仕事と関係ないよな」
などと悲観していましたが、

そこに挑む心の在り方、困難を楽しんでいる過程は、
いやいやなんの、
めちゃくちゃ仕事に応用できるじゃん!
という確信に至っているのです。


やっぱ
「富士山バカ」「富士登山バカ」でいいんだと。
自称「富士登山バカ」で結構。

バカであることに誇りを持っていい。
その熱量が世界を救う!(まで思っていいかな)

煙とナントカ・・いや、バカは高い所が好きです。
負荷に乗り越えて登る高みと極みは最高です。


追い込まれた時にこそ、
「ダメ」「無理」「無駄ァ!」を
「チャンス」「面白い」という言葉に言い換えて、
困難を乗り越えた時にガッツポーズしている自分。

使う言葉が変わり、
行動が変わり、
そんな体験を増やしていくことで、
人生は変わっていきます。


来週、8/13〜8/14も富士登山します。
もちろん、前に進む一択です。


それでは、
今日も素敵な1日をお過ごしください。

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