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山の茶屋より始まりし

E.Vジュニアさんの「夏の日,山の茶屋にて」の続きを書かせてもらいました。まずはこちらをお読みください↓

***

「よろしかったら,吉野を案内しますよ」

不意打ちに胸がドキッとした。フリーライターだというそのお客様の、優しい微笑みに、私の心は射抜かれてしまったのだ。

咄嗟に「ありがとうございます」と答えたが、頭の中には(それってデート?)という淡い、いや浅はかな期待が浮かんでいた。ああ、こんな余計な憶測を巡らせてしまったのは、アイツのせいだ。先月別れたばかりの彼氏。

彼と出会った時も「良かったら案内します」だった。友達と訪れた他大学の文化祭。あの日も今日みたいに暑くて、でも涼しい風が吹いていた。

いけない、接客に集中しなきゃ。身内の店とはいえ、お給料をもらう立場なんだから。

「お気持ちは嬉しいのですが、ご迷惑ではありませんか?取材のお邪魔では?」

私は平常心を装って答えた。

「僕はこのあと1週間ほど近くに滞在する予定ですし、取材というよりは息抜きですから、お嬢さんの予定に合わせますよ」

お嬢さん、と呼ばれ、心をくすぐられる。平常心平常心平常心!落ち着いて私!この人はお客様。今日これっきりの付き合いなんだから!

「ワカナ、行ってくればええやんか」

「え」

唐突に会話に混ざってきたのは茶屋の女将を務める母だった。

「最近お客様も多くはいらっしゃらんし、明日にでも息抜きしてくるとええわ」

「でも…」

「大将、ええやんな?」

母が厨房の父に尋ねた。

「構わん」

「では、決まりですね。明日の午前9時に、駅前に来られますか?」

「は、はい…」

みんな少しは私の意見を聞いてほしい、と思いつつ、それが本当は自分の望んでいた結末なのだと思うと、少し悔しかった。

「イシフナといいます。rockの石に、舟偏にハ・ロの船で、石船」

彼はそう微笑んで、会計を済ませていった。

***

店仕舞の後、母が余計なお節介を発揮した。

「ワカナ、明日は気分転換して元気出して来るんやで」

「別に、落ち込んでもないわ」

嘘だ。まだアイツのこと引き摺ってる。親に紹介までしたのに、些細な価値観の違いがどんどん大きくなって、気づいたら修復不可能な溝ができていた。

「どっちでもええけど、楽しんでな?」

母の声に、苛立ちと安心感の両方を感じる。複雑だ。

「わかっとるって」

お節介には反抗してしまったけど、本当は気遣いが嬉しいし、明日は楽しみでならなかった。

***

翌朝、最寄り駅に行くと、石船さんは既に二人分の往復切符を購入していた。

「自分の分、払います」

私が財布を取り出すと、彼は首を横に振った。

「いいんです。その代わり、向こうでお茶を1杯ご馳走してください」

「は、はい…」

最初からペースを飲まれっぱなし。
でもそれを悪くないと思う自分も、どこかにいるのだった。


京都の外れに位置する私達の街から、奈良県の吉野までは電車で2時間ほど。目的地に着くまでの間、お互いの身の上や、趣味興味の話をたくさんした。

吉野口という駅を過ぎる頃、吉野町の名所について詳しく説明された。同じ古都でありながら、京都以外の都市に興味を持ってこなかった私には、とても新鮮に思えた。

吉野駅から、ケーブルカーに乗って山の上へ。

「わあ〜」

見下ろせば、青々と輝く山。実家も山の上にあるけど、それを上から見たらこんな感じだろうか。手を降ればどこかで両親が返事をしてくれるような気がした。

「いかがですか、ワカナさん?」

お嬢さん、ではなく、ワカナさん。
少しずつ近づく距離が、嬉しくて、怖かった。

***

目的地の金峯山寺に行くまでに、いくつか吉野葛を扱う茶屋があった。気にはなったけど、「帰りにとっておきましょう」と言われて通り過ぎた。

ところで、坂が長い。薄い色のブラウスだから、汗染みは目立たないだろうけど、ひょっとしたら透けてるんじゃないかという不安はある。

「大丈夫ですか?」
「は、はい」
「少し木陰で休みましょうか」
「ありがとうございます」

この優しさが、アイツにもあれば…

忘れたはずのアイツの顔がチラつく。

(ワカナ、明日は気分転換して元気出して来るんやで)

それを、母のお節介が打ち消して、

「ここが、世界遺産の金峯山寺です」

石船さんの声で上書きされる。

「わあ…」

顔を上げれば、荘厳な佇まい。

歴史ある寺社なら京都府民として飽きるほど見てきた。でも、なんでこんなに心が安らぐんだろう。山の緑に囲まれているからだろうか。

「秋に来れば紅葉が綺麗ですし、春に来れば桜も綺麗ですよ」
「素敵ですね…」

秋も、春も、また一緒に来られればいいのに。という想いは胸の奥にしまいこんだ。


お参りを済ませたあと、帰り際、お守りの販売所が気にかかった。

「ワカナさん、おみくじ引いてみませんか」
「ああ、いいですね」

百円玉を4枚入れて、二人で一枚ずつクジを引く。

「僕のは三十二番だ」
「え、私も!」

そんなことってあるんだ。勝手に運命を感じちゃうけど、こういうのって大抵は勘違いだ。冷静に、冷静に。

「なかなかの確率だね。末吉っていうところが微妙ではあるけど…」

顔を見合わせながら手にしたクジには「恋愛:目の前の相手を大事にせよ」とあった。

***

「美味しいですね」

帰りに寄った茶屋の葛切りとほうじ茶は、「うちの店の次に」美味しいと思った。それを小声で石船さんに伝えたら、「身内びいきしてるね?」と苦笑いされた。

「事実ですよ。葛はひょっとしたらこちらの方が良い甘さかもしれませんけど、餡はうちの方がギュッと詰まってて、それでいて軽やかで…」
「ワカナさん、お店の話をすると嬉しそうだね」
「え、そうですか?」
「うん。とても楽しそう」

(気分転換して元気出して来るんやで)

ああ、私、今、お菓子が美味しいからじゃなくて、この人と一緒にいられるから楽しいんだ。

この感情、どうすれば止められるんだろう。

***

ケーブルカーに乗って、電車に乗って、家が近づけば、少しずつ夢の時間が遠ざかって。これが終わらなければいいなって思いながら、他愛もない会話を弾ませる。

…帰りたくない。その思いが強くなるほど、降車駅は近づいていった。


「今日はありがとうございました。案内してもらって楽しかったし、結局お茶代も全部支払ってくださって…」

私は石船さんに向かって精一杯丁寧にお辞儀した。

「いいんです。こちらこそ急な誘いに付き合ってもらってありがとうございます。それに…」

石船さんが言葉を飲んだ。

「それに、何ですか?」
「ええ。ワカナさんと歩く吉野は、今までで一番美しく魅力的でした」

ダメだ私。「美しく魅力的」なのは「吉野」だ。私じゃない。勘違いするな。好きになっちゃ、ダメだ。

(恋愛:目の前の者を大事にせよ)

ダメだ。

「石船さん!」
「はい?」
「良かったら、この辺に滞在してる間、他の場所も案内してもらえませんか?」

ああ、なんて遠回しな…そうじゃない。私が言いたいのは…ああもう。どうにでもなれ!

「石船さんと、もっと一緒にいたいです」

ああ。言ってしまった。
石船さんの返事は…?

「ごめんなさい」

そうだよね。昨日あったばかりの人間にそんなこと言われても困…

「僕のほうが一緒にいたかったんです。それをワカナさんに言わせるなんて、カッコ悪いな僕。」
「え?」
「ワカナさんが良ければ、案内させてください。旅行中に限らず、これから先、何回でも」

ああ、なんという…

夕暮れ時の駅前で、佇む二人に未来が見える。

***

2800字くらいです。
飛び込みで続きを書かせてくださったE.Vジュニアさん、ありがとうございました🙇遅くなってすみません💦

吉野に行ったことが無いので、こちらの内容を参考にしました。
https://4travel.jp/travelogue/10953206