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「公」って何かを本気で考えた。〜猪瀬直樹〜

きましたね。
猪瀬さんの最新刊「公」https://amzn.to/2Em4Upl

なんと!!!
僕が過去に書いたブログについて
言及してくれた猪瀬さん。


これは、読まないわけにはいかない。と思い、
昨日購入して、今日読み終えました。


ちなみに↑のブログは、
「この戦争は、積極的な意思決定をしなかったことによる戦争だった。」
という趣旨のことが細かく書かれている
「昭和16年夏の敗戦」https://amzn.to/2v1FGEz
という本のレビューです。
これを読むと、いかにして日本が勝てるはずのない戦争に突入していったかがすごくよくわかります。
僕の知る限り、
日本の近代史を書かせたら猪瀬さんの右に出る人はいないので、本当にオススメです。

前置きが長くなりましたが、
猪瀬さんの新刊「公」https://amzn.to/2Em4Upl
について書いていきたいと思います。

本書は、
意思決定をせずに、ズルズルと戦争へ向かっていった昭和の政府と
コロナウイルスへの不明瞭な対応をしている現在の政府の根本の原因は同じなのではないか。
ということについて、
猪瀬さんの過去の政治の経験、知識をフルに出力して、
考察されている本です。

では、この根本の原因はなんなのか?
その答えは、日本には「公」という概念が極めて希薄であることです。

これだけでは、抽象的過ぎてよくわからないですよね。

僕なりに「公」について、まとめていきたいと思います。

「公」を意識するとは、
先祖たちが脈々と時代をつないできている、その時代の流れの中で、
今ここに自分がいる。という認識を持つこと。
これこそが、国家に「公」がある状態だと僕は解釈しました。

「日本人は、現在の自分たちが過去に連続する形で存在していることを理解していない。」
と本書で書かれているのですが、
僕の解釈から言うと、
このことこそが日本に「公」という概念がないことを表していると思います。

猪瀬さんは、
村上春樹がノーベル賞を取れずに、
カズオイシグロがノーベル賞を取ったのは、
ヨーロッパ文学であるカズオイシグロの作品は、「公の時間」と「私の営み」のバランスが取れている一方で、
村上春樹の作品は、「私の営み」しかないという違いがあったと考察しています。

なるほど。
カズオイシグロさんの小説、読んでみたくなりました。

三島由紀夫以降の、
日本の文学は「私の営み」しかなくなったと猪瀬さんは言っています。

この視点は、なかったです。
『「公の時間」の土台なしに、「私の営み」は語れないはずだ』
とても沁みます。

確かに、
今、第二次世界大戦の時の映画を見ても、
同じ「日本国」として観ている人は少ないのかなと思いました。
昔は、「天皇主権」だったから、全く別のものだよ。とか思っている人も多いかと思います。
実態は、
今も戦争中も、「官僚主権」で、
意思決定の不透明さなど共通するものも多いのですが。。

この戦前と戦後の連続性をしっかりと認識することが、
「公」の意識を持つ第一歩なんじゃないかなと僕は思います。

総力戦研究所が、
「12月中旬、奇襲作戦を敢行し、成功しても緒戦の勝利は見込まれるが、しかし、物量において劣勢な日本の勝機はない。戦争は長期戦になり、終局ソ連参戦を迎え、日本は敗れる。だから、なんとしてでも戦争すべきではない。」
と結論を出したにも関わらず、戦争に向かったあの時の日本と、
今の日本は連続したものなのです。

なんだか悔しくなってきますね。

猪瀬さんに
『日本は再び黒船来航以前の江戸時代の鎖国へ戻った。「泰平の眠り」に就いたのである。』
こう書かせてしまう現在の日本の状況は、とても淋しいです。
「ディズニーランド」の中で、平和ボケしてるんですよね。

三島由紀夫の
「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう。」
この言葉もなんだか現実になっていますよね。

「ある程度、国づくりができてしまうと「公」の中での自分が担うべき役割が見えなくなって」くるのですよね。

だんだん暗い気持ちになってきましたね。。
こんな空虚な現代の中で、我々はどうしたらいいのでしょうか。

僕の答えは、
まずは歴史をしっかり認識し、
一人一人が「公」という概念を持つことからだと思います。
そうすることで、少なくとも現代日本はどういう状況で、どういう流れの中にいるのか
は理解できます。
それができて、初めてこれからどうするかを考えていけるんだと思います。

これが非常にムズカシイんですけどね。

本書にも、このように書かれています。
「クリエイティブな人々のクリエイティブな勇気」にこそ「公」が宿っている。彼らによって新しい世界のビジョンがつくられる。ビジョンがなければ、アフターコロナを生き延びることができない。」

最後になりますが、
『個別・具体的な「私の営み」を、普遍的な「公の時間」につなげるのが作家の仕事』
と書いてあって、この言葉に猪瀬さんの作家としての矜持を僕は感じました。

政治家もやって結果も残して、
この言葉を地でいっているのが本当にかっこいい。

「公」猪瀬直樹 https://amzn.to/2Em4Upl
正直この本よりも
「昭和16年夏の敗戦」https://amzn.to/2v1FGEz
の方が僕はオススメです。

興味持ってくれた方は、ぜひご一読を。

以下おまけ。

僕のメモの一部を公開します。


- クリエイターとしての作家の誕生
- 作家の役割は
- 物語、生き方、ライフスタイルをつくっていくことが、新しい作家の役割
- 江戸→明治。カントリーに帰属→ネーションに帰属
- 「強圧抑制の循環」
- ネーションの土壌が痩せている
- 作家は時代のセンサーでなければならない
- 実務には興味を示さない作家
- 28歳の平田晋策「空軍の利用によってアメリカを制することができます」
- 官僚との認識の差が如実
- 軍国主義とは何かを問う場合、固定観念を打ち破るひとつのヒント
- 軍人が国民を引きずった側面
- 世論の方も軍人の思惑を超えて戦争を呼び込んでいた
- 世論をつくったのは、作家
- 森鴎外が家長、「公」の部分を内部に抱え込み、その責任を取る立場でファクトとロジックで考える人のことをそう呼びたい
- 日本の文学は、「放蕩息子」つまり「私の営み」しか考えていない方が正統であるかのようだった。
- こうして国民の生命財産の守護は、人知れず官僚機構に託されてしまったのだ。


第3部
作家的感性と官僚的無感性
- 表層を漂う全共闘
- ソリューション・ジャーナリズム
- 現代のジャーナリストは、自分の発言に責任を持たない
- こういうあり方のなかに「放蕩息子」としての作家の系譜が見てとれる。
- 「ソリューション」が欠けている
- そこまでやるのが家長
- 猪瀬直樹
- 与えられた知識だけでなく、自分が見たもの、自分が発見したものを根拠にする、それが作家への第一歩
- 大学時代、全共闘
- 20歳で日常性を相対化して考える機会を得たことが本気で作家を目指す転機になった
- パチンコ屋に入ると、日常があった
- 全共闘は表層を漂っているに過ぎない
- 働きづくめの人たちが作り上げた高度経済成長のおこぼれをもらっている、学生たちは、「放蕩息子」
- 大学教授、意思決定に個々人の責任感がない
- 日本的な意思決定に疑問を抱いたのは、この時
- 日本的ナショナリズムの研究
- ナショナリズムは日本の近代をつくってきた原動力
- 日本の風土や天皇制
- 明治大学大学院
- 戦前も戦後も「官僚主権」の日本
- 今も官僚が法律をつくっている
- 日本には国家の意思決定の中枢がない
- 天皇は空虚な中心
- 不決断により大東亜戦争
- メディアは間違えるが、訂正しない

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