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曖昧な言葉で話してみたい、というはなし

お久しぶりです、ふぁんとむ―Funtomです。
しばらく私生活が忙しく、今さっき起きたばかりのような心地で眠りにつく日々が続いていました。やっとnoteを書けてうれしいです。
今日は『曖昧な言葉で話してみたい、というはなし』です。いつも以上に脈絡なく、がしがし書きなぐっています。

この間学校でなにか発表する機会があった時、友だちに「ふぁんとむの言葉は分かりやすくて、すっと入ってくるね」と褒めてもらいました。
発表においてわかりやすさというのは非常に大事で、だからうれしかったけれど、同時に何か少し複雑な気持ちにもなりました。

本や映像作品や絵画などを見るたび、わたしは『曖昧な言葉で話せたら』とふわふわ思っていました。
(もちろんものにもよりますが)それらは受け取り手に考える余地を与え、そして答えも明確に提示しません。そういうものがわたしは好きで、そしてそういうものを作ってみたい。例えば、わたしの一番すきな『言葉』という概念で。

でもどうしてもわたしは、浅い言葉でしか何かを話せない、と思っています。
何か得体のしれない不安が邪魔をして、デフォルメ化された形に生地を流し込んで生成することしかできない。
わたしは短歌を嗜んでいるのですが、考える余地を与えるということが難しい。どうしても読み手に、わかってほしいことをすんなりわかるように作ってしまう。

それが悪いことだとは言いませんし言いませんし言いたくもありません。それもひとつの創造の形だから。
ただ、わたしは一度でいいから、例えば色んな色や形が混ざり合い、ぱっと見何かわからない絵画のような、そんな言葉で何かを書いてみたい。
形を明確に与えない曖昧さを含みたい。
曖昧をどこまでも追求して、読み手にじっくり考えさせて、心に足跡を残す言葉を作りたい。

曖昧な言葉ではなしてみたい。

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