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日めくりな薬|ふあんクリエイターの実行日誌

ひと月近く前、わたしにとって極度の緊張を引き起こすイベントがあった。心身の落ち込みが大きかったらしいことは、当日の記録からわかる。しかし、いまはもう大丈夫である。

これからも、このようなことはいくらでも起こる。

乗り越えるたびに強くなれているか(場数を踏むことで、耐性がつきつつあるか)は、正直わからない。

ただ、わかりやすい自覚症状(よし!今回乗り越えたから、わたしは強くなったはずだ!自信がついた!的な)だけを追い求めるのではなくて、地道に目の前のことに集中し、日々を大切にしていきたい。先々、わたしが楽になる方法は、ドカンと派手な行動をとることではなくて、おそろしく地味な取り組みの積み重ねの延長上にあるものだと思うから。

時の流れはありがたい。日めくりカレンダーをちぎっていたら、なぜか気持ちが落ち着いてきた。

急がば回れ。

回れ、回るんだ!


ーーー落ち込んでいた日の記録ーーー

〈記録③、今回「は」乗り越えた〉

極度の不安と緊張が発生するイベントを乗り越えた日、食欲がなくなった。そのため、水分補給をし、その日は気絶したように眠った。心身のブレーカーが落ちてしまったのだ。

翌日、寝覚めはよいものではなかった。脳がモヤでくるまれた状態で一日が始まった。それでも、スケジュールをこなし、週末もめいいっぱい使った。少しづつ復調しつつあることを確認した。もう少し、時間がかかりそうな見込みである。

今回は乗り越えた。

しかし、乗り越えられないこともあろう。そのときは、自分にやさしくする。前のときは上手くいったのに、などと落胆しないように心がける。

一方で、何かよりよく対処するアイディアに気づいた場合は、積極的に組み込み、試したい。ただし、その試みがうまくいかなくとも、実行したことについてはマルをつける。

試さないと、わからないものだ。

今回、逃げずに対峙することに挑戦したら、傷ついた。顔には出さずに過ごしているが。家の中では、正直にどんよりしておく。

わたしは嫌だった

という感情をきちんと感じておいたほうが、予後がよいとの仮説だ。

ーーー


なるほど、そんな風に考えていたのだな。感じていたのだな。


「わたし」を知り、行動することは本当に難しい。冷静に、客観的になれたようでも、主観の域を出ないことが多い。そのもどかしさが、つらくて、面白い。

[日誌はつづく]

うさぎのおやつ代になります。(いまの季節は🍎かな)