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INFJ女の人生 Ep.13

前回の記事で、MBTIセッションを受けたことについて触れて、その続きを更新しようと思っていたのですが、それよりも先に今衝動的に書き留めておきたいことが出来てしまったので、セッションのお話は一回お休みさせてもらいます!

本当に今、リアルタイムで感じたこと。


“素”ってなに?


私これ、ずっと悩みで。INFJあるあるなのかは分からないけど、自分にとって自分という人間は内面が本当に複雑だと思っていて。

さらにINFJは人と接する際に色んなペルソナ(仮面)を使い分けていると思います。学校の友達にはこう、家ではこう、恋人にはこう、職場ではこう…っていう感じで、一貫したペルソナというよりはその場、その対象によって使い分けているイメージがあります。

実際私がそうで、信念だとか自分の中の哲学というものは軸にあるものの、ものすごい量のペルソナを意識的に使い分けています。

学校でのペルソナと家でのペルソナ、二つのペルソナ間にギャップが生じているため、授業参観とかがめちゃくちゃ嫌いでした。


私は中学生の時に第二機能のFeが鍛えられ始めたと自覚しているのですが、女子という性別の群れの中で、自分がどう立ち振る舞うのがベストなのかを常に考えながら行動していました。
小さな変化や亀裂などに対して、ここは私が仲介に入った方がいいのか、それとも気付いていないフリをするべきか、など。

とにかく集団にとって良い方向に動くであろう言動を頭の中で計算して、周囲の友人とは接していました。
その根底には純粋な配慮もあったり、面倒なことが嫌だという回避的な感情もあったり、自分の本音を言うよりか求められていることを言う方が楽だからという気持ちもあったり、必ずしもクリーンなものではなかったと思います。というかクリーンじゃない側面のが強かったかもしれない。

そうしたら、ある一人の子にこう言われました。

「みんみんって計算してるみたいでいやだ。
思っていることとか正直に話してほしい。」


私はそれに対して「いや、私は全体的な関係が上手く回るためにしてるのに、なんでそんなこと言われなくちゃいけないの?」と不思議でした。それでも、まあそう望まれてるなら、とこれからはそうすると答えました。

それから少しして、その子が私にある質問をしてきました。
私と少し離れた席でその子を含む何人かが話している声が聞こえていたので、質問に対するその子の求める答えは正直分かっていました。
でも、その子は私に計算を抜きにして正直な思いを聞かせろと要求してきたんだから、と求められる回答ではなく本心で答えました。
そしたら、その子を含め周りにいた子たちも一丸となって私に「なんでそんなことを言うのか」と非難轟々。

その瞬間、ほら見ろ。と思いました。
今思うと私も大概、極端な解釈してんなぁと思うけど、まだ中学生の私にとっては、「私が今までしたきたスタンスで何も間違ってなかったんじゃん」「結局のところ人って自分が欲しい答えを聞きたいんじゃないの?それをしてきた私の何がいけなかったの?」と思わせる事件になりました。


こうした一件や、大学生の頃友人らに自身の印象を聞いた際、何人からか「心を開いてもらえてない感じがある」「良くも悪くも他者に淡々と接しているイメージ」という意見をもらったことも重なり、私にとって「素ってなんだろう」と常に考えていました。


分析・計算すること、それが私


さっきの話でもそうだし、私はここ最近までずっと「正直」というものは「自分の取り繕っていない部分を見せること」だと思っていたし、それがすなわち「素」だと思ってました。
(もしかしたら本当にそうなのかもしれないし、そう思って生きている人もいるかもしれないけど)

でもINFJとして自分の得手不得手が分かってきた今は、こうした今までの経験や接している人に関する情報を収束して分析して計算しながらも人に対する方法が特段悪いとは思ってなくて。

嫌いなものを好きと言ったり、やりたくないことを断れないとか、そういうこととは全く違くて、「この人にはこういう断り方がベストだな」「話を合わせるために好きと無理矢理言うのではなく、この人はこれの何に魅力を感じて好きなのかを掘り下げて聞いてみよう」というふうに、人によって自分の本心のぶつけ方をカスタマイズする感覚です。

「話を聞く」ことも、ただ話を聞いて欲しいのか、程よく相槌が欲しいのか、はたまたこちら側に適切なアドバイスを求めているのか。
それって人によって全然違うし、それを見極めて、これかなと思う方法を適用してみるのは誰にとってもウソではないし、私も別に「してやってる」という意識でしているわけでは全くありません。

その人のことを想って、自分の方法をその都度カスタマイズすること、それが私の素、なんじゃないかなと思い至りました。


Niを使って人や状況を分析すること
Feを使ってその場に合った言動をとること
Tiを使って自分の信念というものを常にブレずに持ち続け一貫性を保つこと


これがINFJである私の「自分らしい姿」だと思うし、ここからさらに「Seを使って状況を楽しんだり、自身を周囲に上手く表現すること」まで身に着けられたらもっといいなあと思っています。


INFJって総数が少ないから今まで関わってきた人の中でもほとんどが非INFJだけど、そんな自分とは全然違う人達を見ながら、その人たちの「素の在り方」というものを自分に押し当てて、どうやったらそうなれるのか、と悩んでいました。

でもINFJである自分の心理機能を今一度振り返ってみて、自分の心に一番しっくりくるのって何だろう、どのペルソナを使ってる時も常に無意識的にしていることってなんだろうって考えたら、「人や状況を分析して、シチュエーションに応じて自分の言動を計算しカスタマイズする」という点でした。

100%素であろうとしなくていいんだな。それがINFJとして生きる私の「素」なんだな。
と、今しがた自分と見つめ合いながら感じたので、取り急ぎ書き留めておきました。


INFJはきっと、「自分ってなに?」という問いに平均よりたくさん考えていると思います。でもその割に答えが出るのにはすごくすごく時間がかかると思います。
私が今日書いた内容は私の中の「自分」に過ぎないけれど、もし世間一般の「自分」や「素」と比較してはうーん、と悩んでいるINFJさんに、こういう捉え方もあるか、というヒントになれば幸いです!


ということで、本当に衝動的に書いちゃいましたが、ここまで読んだ下さった方、ありがとうございました!
次こそ!セッションの話の続きを…!では!

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