見出し画像

103 金平糖をとかしながら

きりりと冷えた夜の帰り道。
鼻を赤くしながら橋を渡る途中、ふと見上げたら星が出ていました。
濃くて深い紺色の夜空にビーズが散りばめられているようでした。
大きいのや小さいの。それぞれがそれぞれの方法で灯っています。

さむくて暗くても、仕事でくたびれていても、星が瞬く夜空を見たら少し元気が出ます。
そして、星がきれいな夜は、金平糖を食べたくなります。

--------------------

昔から金平糖が大好きでした。
シンプルなあまさのお星さま。
噛めばかりっとかたくて、でも割れたらほろほろと崩れていきます。
白にレモン色、橙色、黄緑色。ひとつとして、同じ形はありません。

母が金平糖を出してくれるときは、必ず紺色のお皿に乗せてくれました。
「星空みたいでしょう?」
そう言って、ぱらぱらと金平糖をお皿の夜空にまきます。
「ほんとうの星は食べられないからね」


--------------------


思い出すことがあります。
就職するか大学院に進むか悩んでいた大学生三年生の夏の終わりのこと。
インターンシップで知り合ったKくんから着信がありました。
「今、友だちとドライブに行こうって話になったんだけど、ふむさんも来ない?」
とのこと。私はびっくりして
「今から?」
と聞きました。午後十時半でした。
「もちろん!」
明るい声。いつもの私ならそういう誘いは断っていたでしょう。
明日用事があるから、とかなんとか言って。
でも、午後十時半。車からはどんな景色が見えるんだろう。
少し迷いましたが、
「いく」
と答えました。

--------------------

待ち合わせ場所に行ったとき、二人の男の子がいて、勝手に他の女の子もいると思い込んでいた私はやや後悔しました。

一人は電話をくれたKくん、もう一人はKくんの友人Sくん。
運転はSくんが、Kくんは助手席に座ってあれこれしゃべっていました。

私は後ろの席で、二人のおしゃべりを聞くともなく聞きながら窓の外を流れる夜をながめていました。静かで濃い夜だな、と思いながら。


「ふむさんは〇〇証券を目指しているの?」
Kくんに訊かれました。
〇〇証券は、インターンシップ先です。インターン仲間の半数は、その証券会社を志望しているようでした。
私は正直に
「目指すつもりはないの」
と言いました。
その瞬間、次にくる質問が怖くなってしまい、私はあわてて質問を返しました。
「Kくんは?」
「俺も証券会社は目指してないよ。正直おもしろそうだな、と思ったけどね。俺は家業を継がなければならないんだ」
Kくんのご実家は、自動車の部品を製造している会社なのだそう。

車の外では、家たちがところどころ明かりをこぼして流れていきます。
「Sくんは?」
「僕は医学部だから。卒業はまだ先だなぁ」
Sくんのご実家は眼科をされているそう。

家の明かりは、家によって違うんだな、と私は思っていました。
大きさも、明るさも。白っぽい光に橙色のような光。

「ふむさんは?」
Sくんに尋ねられて、はっとしました。
その質問は、私が恐れていたものだったからです。
三年生にもなって、大学院か就職かも決めかねていました。もし大学院を目指すのであれば、両親に話さなければならなりません。それは気が重いことでした。

しばらく考えて、
「わからない」
とぽつんと言いました。車の外は、どんどん家が少なくなっています。
「え?」
と、二人に訊き返されました。
「なにも、決まってないの」
情けない気持ちを抑えながら、私は答えました。

夜ってこんなに暗かったっけ。明かりがないと、こんなに深い闇に包まれるんだ。
そんなことをぽやぽやと思っていたら、Kくんが
「いいなぁ」
と言いました。Sくんも
「ちょっとうらやましいなぁ」
と言いました。私が首を傾げているとKくんとSくんは交互に話しました。

「だってほら、自分で決められるってことだろ?いいじゃないか」
「僕らはさ、幼いころから仕事を決められていたんだ。通う学校も、大学の学部も」
「自分で決められることなんて、どうでもいいことだけだったな」
「だからKは、親に黙って証券会社のインターンに参加したんだよね」
「そうだよ。親には言ってない。言うつもりもない。証券会社で過ごした時間は、一生俺の中におさめておくよ」

私は、おそらく少しショックだったのだと思います。
自分で決められることは当たり前だと思い、その上でうじうじと悩んでいました。
彼らは選択できない日々を歩んでいました。

「でも、そろそろ決めて動かなければいけないのに、まだ立ち止まっているのはどうなんだろう…」
と私は言いました。言葉にすると、さらに情けない気持ちになりました。

「立ち止まれるうちに立ち止まっとけば?」
けろりとKくんが言いました。
「ふむさんは、決まっていたらよかったのにと思うことはある?」
Sくんはハンドルを切りながらゆったりと訊きます。私は窓の外を見ながら言いました。
「…正直、最初から決まっていたらいいのにと思ったことはあるかな…」
最初から大学院に行きたいと言って大学に行けばよかった、これは何度も思ったことです。

外の明かりは、すでに街灯だけになっていました。
Sくんはまっすぐ前を見たまま、こう言いました。
「そっか。みんな、ないものねだりなのかもね」
Kくんも前を向いたまま言いました。
「ほんとうにほしいものは、なかなか手に入らないからなぁ」

ほんとうの星は食べられないから。
そう言ってお皿の夜空に広げられたお砂糖の星たち。
白、レモン色、橙色、黄緑色。あまい星たち。

車が止まったのは、ドライブをはじめて1時間ほど経ったころでした。
「海だよ」
そう言ってSくんはエンジンを切りました。
「夜中に海に来るなんて、僕ら若いなぁ」
と言いながら。Kくんは車の外に出て
「でも、きれいだな」
と言いました。

私も空と海を見ました。
広い空。紺色の空。
そこにぽつんぽつんと灯っている星たち。
遠くて遠くて、触れることすらできません。
でも、手に入らなくても、こんなふうに見えるのはうれしいことです。

「がんばらなくちゃね」
Sくんが言いました。
「人に決められたことでも、決められていないことでも、自分がやると決心したら、がんばらなくちゃ」
「まかせとけい!」
Kくんが言いました。
まずはなにをやるか。やりたいか。そこから考えてみよう、と私は思いました。
立ち止まって空を見ながら考えれば、何か決まるかもしれません。

大きな星も小さな星もひとしく美しい夜でした。

--------------------

それから、彼らには会っていません。
Kくんからはときどきメールが届きます。
「結婚したよ」
とか
「またうじうじしてるんじゃないだろうな」
とか。短い言葉でも、気にかけてくれていることがわかる、素敵なメールです。

「たまにうじうじするけど、元気です」
と私が送ると
「うじうじするのが趣味なのか?」
という返信がきて、続けて
「あこがれを持ち続けているから、うじうじするんだな」
とメールが来ました。

返信を考えているうちに、また一通メールがきて
「それは、悪いことじゃない」
と書いてありました。
なにかにあこがれ続けることは悪いことじゃない。
たとえそれが手に入らなくても、生きていく源になるから。

Sくんからは年に一回くらい着信があります。三十分くらいおしゃべりします。
あとからわかったことですが、Sくんはご両親に黙って眼科医ではなく、精神科医を目指していたそうです。
もちろん、ご両親にばれたときには大変な騒ぎになったそうですが、何度も話し合いをして一旦収束したようです。
「心を知りたかったんだ」
とSくんは言います。
「体ではなく心。どこにあるのかわからない心。そういう、つかめないものを知りたかったんだ」

つかめないもの。
みんなそういうものを求めているのかもしれません。
私が星を愛して金平糖を食べるように。
母が身近なもので星空をつくるように。

今でも目を閉じると、あの夜に見た海と空は広がっています。
決められた仕事に就く前に冒険をしたKくんと、決められた道の中で自分のしたいことを見つけていたSくん。それから、なにがしたいのかもわからないまま途方に暮れていた私。

良い夜だったなと思います。
星のきれいな良い夜だった。

そんなことを思いながら、ひとつぶの金平糖を口の中で転がしていたら、せつないあまさを残して消えていきました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?