185 心のぬくもりを抱きしめる
「少ない」というと、不安に感じることもあるかもしれない。
例えばストックが少ないと心配、お金は少しでもたくさんほしいなど。
もちろん、「もっとほしい」という気持ちは原動力になり、進歩や成長につながることもある。
しかし貪欲になり過ぎると、足りない気持ちが増幅して恐怖感にとらわれることがあるのではないかと思う。
そして恐怖から生まれる行為は、時として取り返しのつかない事態を起こし、恐怖の連鎖が始まる。
なんだかカタい始まりになってしまったが、「ほのぼの」という言葉を改めていいなと思った話である。
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厳しく冷え込んだある日、私は塩がなくなっていることに気がついた。
塩壺の中は底の方に数粒の塩がこびりついているだけで、あとは小さなスプーンがからんとわびしい音を立てて入っているだけだった。
これはいかんと思うも調達に行くには外が寒すぎたので、なんとか暖かくなるまで塩抜きで生活できないかと戸棚やら冷蔵庫やらを捜索した。
すると、驚くべきことに醤油もマヨネーズも底をついていた。
これは由々しき事態。私には「少ない」ことに対する危機感が欠如しているらしい。
意を決して外に出て、サムイサムイと念仏のように唱えながらスーパーへ行く。
何日か前、お届けものをしてくださった宅配の方が薄着だったので、「さむくないのですか」と尋ねたら、「さむいのだから走るのですよっ!」と元気に話してくださったことを思い出す。
寒さに対して服を着込んだり、熱いものを飲んだり、あたたかい場所に行くといったことはせず、自らの身体のみで解決するとは…と妙に感動したものである。
さまざまな人と話すのは、こういった発見があるので楽しい。宅配さんの言葉を思い出したら、少し心があたたまった。
調味料を手に入れ、購入予定外のお菓子やらお鍋の素やらも購入して、ほくほくしながらスーパーを出た。
すると、私の前を歩いていた老夫婦が手をつないでいた。
寒空の下で二人は特に会話をせず、静かに手をつないだままゆっくりと歩いていった。
それを見て、なんともやわらい気持ちになり、また少し心があたたまった。
家で塩やら醤油やらをしまっていると、今度は部屋に陽がさしてきて、今日はほのぼのすることが多い一日だなぁと思った。
そのときに、「はて、ほのぼのとはどういう意味だったかな?」と思い、調べてみることにした。
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辞書によると「ほのぼの」は、「ほの(仄)」を二回重ねた言い方で、「ほの」とは「ほのか」という少量を表す言葉だそうだ。
つまり、心のあたたかさを感じる「ほのぼの」は、わずかな量から感じる良い感情ということになる。
「ほのか」の使い方は、同辞書で「ほのかな残月の光」「花の香りがほのかにただよう」「ほのかな恋心」などが挙げられていた。
儚い美しさを感じる例文である。
この「ほのか」を少量を表す他の言葉に置き換えてみる。
「微小な残光の光」「花の香りがかすかにただよう」「わずかな恋心」
こうすると、どこか物足りなさや寂寥感のある文になる。
「ほのか」は、何かを多く求めるよりも、少ないからこその美しさを表しているようだ。
また「ほのぼの」は、夜明けという意味もあり、古典でもよく使用されている。
例えば、「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れゆく舟をしぞ思ふ」は、古今集・羇旅で出てくる和歌(詠人知らず)である。
意味は「ほのかに明るくなるつつある明石の浦の朝霧の中で、島の陰に隠れてながら遠ざかっていく舟をしみじみと眺めている」で、「ほのぼの」は空が徐々に明るくなっていく様子を表現している。
「ほのぼの」という言葉で深い紺色の空に少しずつ陽が差してくる美しい情景を表し、作者の離れていく舟への想いがより一層際立てている。
このように「ほのぼの」は、少ない何かから美しさを見出し、それを味わう豊かさから生まれた言葉といえるだろう。
私の場合、寒い日に宅配さんと話した何気ない会話や、冬の日にお出かけしている老夫婦からにじみ出る愛情、冬の空からあたたかな光が差してきたことから「ほのぼの」を感じている。
それは、決して派手で大きな出来事ではないかもしれない。
それでも思い出せばいつでも心に明かりが灯る、少量でありながら確実なあたたかさなのだ。
少なさを不安に思ったり、もっとほしいと求めることはもちろん必要なことである。
(でないと、極寒の中凍えながら塩やら醤油やらを求めて歩かなければならない)
しかし求め過ぎた結果、人生に「ほのぼの」が消えてしまうのも寂しいことなのではないかと思う。
モノも情報も豊かな今だからこそ、自分が「ほのぼの」を感じる瞬間を大切にしたい。
そして、自分が誰かの「ほのぼの」を壊すことのないように気をつけなければならない。
その姿勢がつながっていき、誰かが誰かの「ほのぼの」を壊すことがないような世界になってほしい。
誰もが心のぬくもり-それがたとえわずかなものであっても-を大切にできるように。
そんなことを願いながら、世界中に降り注ぐ午後のやわらかな光をみつめていた。
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