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186 言葉にならない吐息

冬が舞い戻ってきたような寒さの夜。
街の灯は、てんてんと続いている。

明日の食パンを買うことを口実に家から出た。
夜の空気のつめたさが胸に入り込んでくる。

食パンを手に入れるミッションはあっという間に完遂してしまったので、食パン入りのエコバッグを気持ち振りながら遠回りして帰ることにした。
意外と車は走っているが、歩いている人や猫はいない。
濃紺の空には、チャコールグレーの雲が浮かんでいる。

ふぅ、と思わずため息が出る。
なぜ私はミスばかりしてしまうのだろう。
定期的に訪れる自己嫌悪キャンペーンである。
落ち込み続けても無意味と知ってはいるけれども、このままふとんに入ったところで自分のいやなところがエンドレス再生されるのがわかっている。

そこで、さらに足をのばして公園に寄ってみた。
住宅街の中にある、小ぢんまりとした公園だ。
夜遅い時間なので、もちろん人や猫はいない。
昼間の役目を終えた遊具は、やすらかに眠っているようだ。
砂場も木もベンチも遊具と静かに夜に染まっている。

その時、つんと土と草のにおいがした。
昔嗅いだことのある懐かしいにおい。
ふだんはアスファルトに覆われた上で暮らしているから、砂や土のにおいを嗅いだのは久しぶりだ。
周りを見渡すと、草はまだ生い茂っておらず、木も葉をつけていない。
それでも感じる緑のにおい。

深く吸い込むと、土の中で何かがうごめいるような気配を感じる。
そういえば、和漢三才図会に春は蠢く(うごめく)季節、とあった気がする。
あたたかくなってきて、草や花や小さな虫たちは、土の中で活動する準備をしているのかもしれない。

見えなくてもそばに命があると感じるのは、心強いものだ。
もう一度、春の気配が立ち上る空気を吸い込む。
かすかに甘い、はじまりのにおいが肺にたまっていく。

そういえば、いつだったか「ため息は溜める息なのに、どうして吐く息をイメージするのだろう?」と思ったことがある。
ため息をつく、ため息を出すといった使い方以外で、「ため息」を使うことはほとんど聞いたことがないし、「ため息」という言葉だけで息を吐く様子が浮かぶ。

「ためる」は、ため池とか、お金を貯めるとか、仕事がたまっているとか、何かがその場に留まっていることである。

そこで、ため息に吐く息の印象がついたのはなぜか調べてみた。
一説には、溜めていた息を吐く人の姿やその心境が、息を溜める行為よりも人々の印象に残ったから、とあった。

なるほど、と思った。
ふだんの呼吸よりも多めの息を吐くということは、その前に息を吐かない数秒があるということだ。
そのほんの数秒間に何かを思ったはずである。

それは、美しい景色を見たことによる感動かもしれないし、何かがうまくいかなくて心がぎゅっと締め付けられている状態かもしれない。
少し疲労を感じている時かもしれないし、だれかの言葉や音楽に出合って心が震えた瞬間かもしれない。
そういったさまざまな思いは言葉ではなく、吐息となって出ていく。

複雑で、とても言葉では表せないわずかな一瞬。
そんな繊細な瞬間をため息と表現したのである。

そう感じた時、ため息は悪い意味で使われることも多いけれど、きれいな言葉だと思った。
もちろん、マイナスな心を持ってあからさまに人前でする行為ではないけれど、思わず出てしまったため息には大切な意味があるのではないだろうか。

たとえば、何かに感動した時に出たため息は、「生きていてよかった」という意味かもしれない。
うまくいかない時に出たため息は、「でも受け入れなくちゃ」や「しかたないな」という意味かもしれないし、「とても受け入れられないな」という意味かもしれない。
その時々によるし、ひと言では言い表せない。

でも、ため息が出た意味を少し考えると、自分の心が見えてくることもあると思う。

私が夜道を歩きながら出てしまったため息を考えてみる。
息をためたのは、「なんで私はミスばかりしてしまうのだろう」である。
その夜、私は重たい自己嫌悪を家で処理しきれず、外に出た。
夜中の街には、歩いている人や猫すらいなくて私だけだった。
心のどこかで、みんなはうまくいっているように感じたのかもしれない。

でも、同時に「落ち込んでも意味ないな」ということも感じて、息が出た。
このため息には、自己嫌悪に苛まれながらも、自分のミスを受け入れようとした気持ちや前を向こうとした気持ちが乗っていたかもしれない。

もう一度、公園の空気を吸いこんで家に帰った。
すると、いつもは出迎えてくれない猫が玄関まで来た。
エコバッグを調査して、中身が自身の好物でないことを判断した後、ソファの上でまるまった。
そういえば、この猫もごくたまに小さなため息をついている。
猫にもいろいろあるのだろう。
(いや、ごはんをたらふく食べた後の満足なため息だったような気もする)

ベランダに出た。
やっぱり寒くて、街の灯はてんてんとしていていた。
てんてんとついた明かりの先には、きっといろんな想いを抱えたいろんな人がいるのだろう。
絶好調な人も、何かとたたかっている人も、思わずため息が出た人も。

やっぱり、周りにはたくさんの命がある。
話すことや会うことがなくても、同じ世界で生きている。
そう思うとまた心強くなり、安心して小さなため息が出た。

その時に吸った空気は、公園の時とは全く違っていて、アスファルトやコンクリートが混ざったにおいだったが、そこにもほんのわずかに甘さを感じた。

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