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122 おまもりことば

いつか、どこかで出会ったことばが、ずっとずっと心の支えになることがあります。
私は、それをお守りことばとよんでいます。

それは、友人や家族、職場の人など身近な人との会話の中で出てくる言葉やTVや映画、CDプレイヤーから流れてきた言葉、本の中で出会うこともあります。

十代のころから、そういう言葉たちをノートに記録していました。
今は手帳に記録しています。

昔のノートを見返すと、こういう言葉から元気をもらったり、考えるきっかけをもらっていたんだなと、過去の自分に会えた気がします。

たくさん、たくさん記録されている言葉たち。
今回は、その中から本の中で出会った言葉たちをいくつかご紹介します。

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1 、日々の奇跡を発見できることば

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薔薇ノ木ニ薔薇ノ花サク
ナニゴトノ不思議ナケレド

「薔薇二曲」 北原白秋

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有名なことばなので、ご存知の方も多いかもしれません。
これは、私のことばノートの1ページ目に書いてあるものです。
当時中学生の私が初めて記録しておきたいと思ったことばということになります。

薔薇の木に薔薇の花が咲く。
当たり前だと思いがちですが、本当にそうでしょうか。
季節が訪れると蕾ができて、気がつくと花が咲いている。そして季節は巡っている。
よく考えると、不思議で素晴らしいことと思います。

ヒトが何かに追われながら日々を過ごしていても、世界は世界のスピードで動いている。
そして、ふと目に止まった花が時の流れを知らせてくれる。
花に限らず、太陽が出ている時間が長くなること、虫が出てくること、雨が降ることなど、身近な現象はいつだって不思議で美しいものです。

日々の森羅万象に感動できる心を持ち続けたいと思って記録したことばです。


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2 、ふんわりと前向きになれることば

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落ちてきたら
今度はもつと高く
もつともつと高く
何度でも打ち上げよう
美しい願いごとのように

「紙風船」 黒田三郎

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紙風船のしゃくしゃくした音やからりと明るい色合いは、青空によく合います。
私は、幼いころ紙風船で遊んでいました。

かしゃ、くしゃ、と音を立てて、ぽんぽんぽんと上に上げては光に透ける風船をいつまでも眺めていました。

子どもの肺活量でもかんたんにふくらむ紙風船。
落ちてきたら、また上げたらいいよね。

こうなったらいいな、こんな風になりたいな。
紙風船と似た願いは、大それたものではなくて、ささやかなもの。
それでも思い通りにいかないこともあります。

落ちてきたら、ちょっと休憩してもいい。でも、また打ち上げましょ。
青空に舞う紙風船を太陽もきっと見ています。


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3 、「豊かさ」とはなにか考えさせられることば

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スナフキンにとっては、どうしてみんなが持ち物をやたらにほしがるのか、わけがわからなかったのです。スナフキンときたら、生まれたときからきている古シャツ一枚で、すみからすみまで幸福だったのです。

『楽しいムーミン一家』トーベ・ヤンソン著/山室静訳

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「すみからすみまで幸福」。
こんな風に思える瞬間があなたにはありますか。
私にはあります。

たとえば。
よく晴れた休日の午前中。洗濯機を回している間にベランダの植物の世話をしていたら、新芽に気づいたとき。太陽も風も赤ちゃんを祝福してくれている気がして、自然と笑みがこぼれます。

たとえば。
仕事で学生から手紙をもらったとき。「信じてもらえたからがんばれました」「目標を達成できて、自信がつきました」こんなうれしい言葉をもらったとき。学生のもつ無限の可能性とその裏でこつこつ重ねた学生たちの努力に胸がいっぱいになります。

たとえば。
雨の日の仕事帰り。体も頭もくたくたで、一刻も早く家に着きたいと無心で歩いている最中に目に入った木の葉っぱがいきいきとしていたとき。うっとうしいなぁなんて思っていた雨は、木にとっては恵の水なんだと気づきます。そういう発見を心に刻む瞬間は、疲れもすこしやわらぎます。

おや。
どれもこれも、持ち物の数は関係のないことばかり。
便利なものや美しいものを持つのは、もちろん心躍ることですが、適量あればじゅうぶん。
(さすがに古シャツ一枚で生活は厳しいですからね)

そんなことに気づかせてくれることばです。


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4 、心ふるえることば

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しつかりと
にぎつてゐた手を
ひらいてみた

ひらいてみたが
なんにも
なかつた

しつかりと
にぎらせたのも
さびしさである

それをまた
ひらかせたのも
さびしさである

「手」山村暮鳥

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この詩に出会ったのは大学生のときです。
意味はよくわからないけれど、とても共感したことを覚えています。
どういう部分に共感したのか、なぜこれほど心ふるえるのか。それは今でも説明できません。

手を開いても、なにもなかった。
なにかをつかめた気になっていたけれど、なにもなかった。

手は、なぜにぎられていたのでしょう。
なにかを得ようとしてにぎったのでしょうか。
努力の時間を積み重ねるうちに、自然とにぎっていたのでしょうか。

手をなぜひらいたのでしょう。
なにかをつかめたか確認したかったのでしょうか。
ふと、力が抜けてひらいたのでしょうか。

何者かになりたかった大学生の私は、この言葉を何度も読みました。
何度も読んで、ときに理由もわからないまま涙しました。

そして、言葉から滲み出る穴のようにぽっかりとした寂寥感は、そんな私に静かに寄り添ってくれました。

目に見えるものはつかめたら安心するけれど、本当に欲しいものは目に見えないものなのかもしれません。

大切に心にしまっておいて、ときおり眺めたいことばです。

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5 、懸命に生きようと思えることば

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突然、医師が質問した。
「なぜ日が沈むのなんか眺めていたのだね?」
フィリップは口にものを入れたままで答えた。「幸せだったからです」
医師は怪訝そうな目付きで見たが、まもなく疲れた老人の顔に微笑が浮かんだ。

『人間の絆』サマセット・モーム著/行方昭夫訳

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『人間の絆』は、生まれつき足に障害を持つ主人公フィリップがコンプレックスとともにたくましく生きていく物語です。少年期から青年期の間、フィリップはさまざまな人に出会いながら、挑戦をして挫折をします。その中で、時折指摘されるコンプレックス(フィリップの場合は足のこと)。人が人に敵意を向けるとき、相手の一番の弱点をつくのはいつの時代も同じことです。

幾度となく足のことを指摘され、そのたびに傷つきながらフィリップは少しずつ強くなっていきます。

上記の場面は物語の終盤。
フィリップはいろいろな挑戦に失敗し、極貧生活を味わったあと、なんとか医師免許を取得して研修医として小さな病院に勤めます。

老医師は、自分の患者がフィリップを気に入っていることに腹を立てて、つい足のことを言ってしまいます。フィリップは赤面しながらも、その患者のもとへ往診へ行きます。

すっかり夜になり、病院へ帰ると老医師は夕食を取らずにフィリップを待っていてくれました。そして、帰りが遅かったという話題から上記のことばがはじまります。

これを読んだとき、たとえコンプレックスを完全になくすことができなくても、たくさん失敗をしても、懸命に生きていけば「幸せ」な瞬間は必ず訪れるんだ、と思いました。

フィリップはたくさん挫折をします。ときにはやや女々しく感じるシーンもあります。でも、彼は彼の足で歩んできました。

私もふと足を止めたとき、目に入る景色を見て、毎日いろいろあるけれど、自分に自信なんてなかなかもてないけれど、今この瞬間は「幸せ」と感じられる時間を重ねていきたい、と思いました。

なにもかもがスムーズで順調な人生もうらやましいけれど、遠回りしてでも夕日の美しさに感動できる人生を歩みたい。

この物語を読んだ当時、高校生だった私はそう思いました。

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いかがでしたか。
心に響くことばとの出会いは大切な財産です。
自分ひとりの感性だけで見る世界と、さまざまな人が紡いだ言葉を通して見る世界は全く違うものになるからです。

みなさんのおまもりことばはなんですか。
また、目に見えない宝物はなんですか。

今回も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。


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おまけ

トルコキキョウと紅花が届きました。
トルコキキョウの花言葉は思いやり、優美。紅花の花言葉は特別な人だそうです。

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