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118 水を見たくなるとき

「ときどき、水を見たくなります。川の水。川は大きくても小さくてもかまいません。」
そう私が言うと、K先生は静かに頷きながらこう言いました。
「わかる、わかるよ。僕の場合は海だけれど、水を見たくなる気持ちはわかる」
よく晴れた仕事終わりの夕方。去っていく太陽はゆっくりと空の色を曖昧にします。
研究室の静かさは、空気をしんと濃くしていました。

K先生とは、何年か前、仕事の関係で出会いました。
循環器内科の医師であり、大学で教官も務めていらっしゃいます。
私と年齢は離れていますが、読書という共通の趣味があり、お互いに本をすすめあっては感想を話す仲間のような関係です。

「ところで、君は生まれ変わりを信じる?」
唐突に先生が言いました。先生は話をする時、必ず相手の目をまっすぐ見ます。
私は、机の上で組まれている先生の指を見ながら答えます。
「いいえ」
「そうか。なぜ」
「理解が追いつかないからです」
「なるほど。わからないことは信じないのかい」
「信じないというか、信じられないという方が正確です。ありうるかもしれない、くらいには信じています」
「臆病だね」
「臆病ですね」

先生は私から視線を落として、しばらく自身の組んだ手を見つめていました。
それは、いつも先生が考えごとをするときのポーズでした。

研究室は、コーヒーのにおいが書物のにおいと混ざって、ゆるゆると時間が流れるのを見守っています。外は夕方。やっぱり空の色は曖昧です。

先生の言う通り、私は臆病です。
だから、時々知らないふりをします。本当に、きちんとあらゆることに目を向けたら、生きることの恐怖に打ちのめされてしまうからです。

「李徴は虎になったよ」
と、先生は言いました。
先生と私の間に置いてあるコーヒーからは、ほんのすこしだけ湯気が出ていました。
「なりましたね。生まれ変わりというよりも、変身というイメージですが」
と私。『山月記』。中島敦の作品は、私と先生の間で度々話題になります。

「死んだら、それでおしまいかい」
先生は、また私をまっすぐ見ます。私はその視線を受け止めることも、お返しすることもできません。私は、コーヒーカップを見つめながら答えます。
「そうですね。そう思わないと、私の場合、つらくなりますね」
「終わったら、安らげるの?」
「いえ、それはわかりません。幕は降りてしまいますので、その後のことは幕内に入らないとわからないことです。でも、終わりがあると思ったら、安らげます」
「やっぱり、臆病だね」
「生きていくのは大変なことですから」
先生はコーヒーをひと口飲みます。
そういえば、先生は猫舌なのかしら。いつもコーヒーをいれてすぐは飲まないけれど。
話題と関係のないことをつい気にしてしまうのは、私の悪い癖です。

「僕は、生まれ変わりはある気がしている」
先生はコーヒーカップの取手に指をかけたまま、おっしゃいました。
「そうですか。なぜ」
「すべては巡っているから」
「なるほど。魂的な?」
「そう」
私はすこし考えました。
なんとなく、医学を修めている方が魂と言うのは意外だな、と感じながら。
窓は開いていて、葉っぱが心地よい音をたてています。
空は曖昧で、風も見えないけれど、夕方はそこにいます。
魂。魂ってなんでしょう。

「魂があるとお思いですか。記憶をつなげないのに?」
私は、なるべく言葉を選んで言いました。
「それは良いポイントだ」
と、先生。
「なにをもってして、その人もしくは生物の魂と判断できるのですか」
「判断できるかどうかは大事なことかな」
「理解するには大事な気がします」
先生はふいっと横を向いて、夜に向かっていく窓の外を見ました。
外は一秒ごとに色を変えています。

「僕は臆病だ」
先生は外を見たまま、言いました。
「そうですか」
私は答えながら考えます。臆病じゃない人なんているのかしら。
「君が、終わりがあると思うことで安らげるように、僕は続きがあると思うことで安らげるんだよ」
先生はそう言って微笑みました。

その時、私ははっと気がつきました。
先生は、日々人の生死に関わっているということを。どれほど全力を尽くしても、すべてがうまくいくわけではないことを身をもって理解されています。

この会話において、私はやや正直すぎたのかもしれません。

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K先生は二十代後半にアメリカへ行きました。そこに行けば、先生が研究している病を治す薬を開発できるかもしれないと思ったからです。

しかし、研究が進んでいるアメリカで先生が知ったのは、絶望的な事実でした。
それは、ある一定の人(限りなく少数ですが、一定の人数)は「ある病原体」を持って生まれ、それを止めることは限りなく不可能に近いということでした。その話をしてくださった時、先生は私にこう言いました。
「その病原体を持って生まれたら、その人は97%くらいの高確率で発症するんだ」
発症したら、今の医学ではまず治せないそうです。私は
「でも、3%は発症しないんでしょう?今は低いかもしれないけれど、発症しない確率を上げていくことはできないのでしょうか」
と言いました。どこまでも前向きな考えを持って。
それを聞いた彼は、少し微笑んでいました。そして
「その3%はね、その病気にならない代わりにほかの病を発症するということなんだ」
と言いました。

人は絶望すると、泣くかわりに微笑むことを私はそのとき初めて知りました。

「病原体を持った人は何のために生まれたんだ?何のために苦しみ、命を削っていくんだ?」

この時のことを思い出して私は言葉にできなくなりました。
続きがあると思うことで安らげる。
それは彼が携わる仕事に対する祈りのようでした。

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「りんごを食べても良いですか」
私は、水道の近くに置いてあるりんごを指差して言いました。
「もちろん。ナイフはシンク下にあるよ」
先生は微笑みながら言いました。
そう言えば、先生はいつも微笑んでいるけれど、大きな声を上げて笑っているところは見たことがありません。

私はりんごの皮がなるべくつながるように気をつけながらむいていきます。
あまり上手ではないので、途中でぷちんと切れてしまいます。

その瞬間、私の中にひとつの考えが生まれました。

「そういえば、水は繋がっていますね」
私はそう言いながら皮が切れてしまったところから、またナイフを入れます。
先生は私をまっすぐ見ます。私は続けて話します。

「りんごの水分を私が摂取して、そのうち排泄して、排泄したものは土だか川だかに戻って、また木に戻る。木にはまたりんごがなる。その水に記憶はないけれど、たしかに繋がっていますよね」

りんごは思ったよりもきれいにむけました。
まな板はないので、重ねたビニール袋の上でりんごを切ります。
とんとんとん。

「きみはやさしいね」
先生は言いました。

「水は巡る。僕らのように」
先生は外を見ながら話します。こちらを向かずに話すのは、大変めずらしいことです。

「だから、僕らはなにか言葉にできない感情が湧いたとき、その感情を自分では処理ができないとき、水を見たくなるのかなぁ」

先生の背中は意外と大きなものでした。
でも、なぜか泣いているように見えました。


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今回のお話は、ここまでです。(続きはありません)
K先生は、現在海外で医療活動をされています。
お話をする機会もお会いする機会もめっきりなくなりましたが、あの答えのないことをつらつらと話した時間は私にとって大きな宝物です。

今回お話した「生まれ変わり」のこと以外にも「絶滅する言葉」や「間という字の役割」、「光について」などさまざまなテーマで話をしました。

ここ最近降ったり止んだりしている雨粒を見て、また、ひとの命について考えさせられる多くのニュースを見て、胸の痛みとともにこんな会話をしたことがあったな、と思い、noteにしました。

今回も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。


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おまけ

なんだか、いつになくシリアスな内容になってしまいました。困ったな。
ということで、温度調整のためにこの前日曜大工で作った棚の写真を載せます。

画像1

本が本棚からあふれかえっていたので作りました。
それでも入りきらなかったので、もうひとつ作る予定です。
よく見ると、しずえさんもいます。

画像2


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