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145 受け継ぐ毛糸

コートを着てもすっと冷たい空気。布団から出るのが億劫な朝。
毛糸が恋しい季節になりました。

毛糸といえば、真っ先に祖母を思い出します。
祖母はいつも編み針を持っていて、さくさくさくといろいろなものを編んでくれました。
靴下、手袋、セーター…。

それらにおしげなく毛糸を使うので、どれももこもこであたたかさは抜群でした。

今日は、そんなもこもこのお話です。


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小学生のとき、祖母が紺色のベストを編んでくれました。
網柄はないシンプルなベスト。色は青寄りの紺色でした。
「制服の下に着るとあったかいかなと思うて。」
そう笑顔で渡してくれました。
嬉しくてその場でTシャツの上に着ました。
ふんわりと編まれたベストは、冷たい空気を遮断してくれます。
もちろん、サイズも私にぴったりです。

「暗すぎない紺色だから顔色もよう(良く)見えるよ。」
おばあちゃんの言葉はおっとりとやわらかく、毛糸のようにあたたかでした。
制服の下にベストを着ることに憧れていた私は、明るく
「ありがとう」
と言いました。

翌日、はりきってベストを着て学校へ行きました。
登校中もうれしい気持ちで、さむさはほとんど感じませんでした。

しかし、教室に入ると、クラスの男の子が私の格好を見るなり、大きな声でこう言いました。
「なんかデブに見える!」

当然クラスメイトたちは私を見ます。
友人はなにか男の子に言ってくれています。
(おそらく、「失礼ね」とか「デリカシーがないわね」とか私をかばう言葉です。)
私は、そんな友人の声も聞こえないくらいはずかしい気持ちでいっぱいになり、トイレに駆け込みました。そして、鏡に映る自分を見て、びっくりしました。
ほんとうに太って見える…。

すぐ脱ごうかと思いましたが、それだとクラスの男の子にからかわれる気がして、結局その日はベストを着たまま過ごしました。

家に帰ってすぐブレザーを脱いで、もう一度鏡の前に立ちました。
きれいな色だと昨日は思いましたが、改めて見るとありきたりでつまらない紺色に見えました。網柄がないのも、ふわふわに編むからかさばることも、なにもかも、色褪せて見えたのです。

ベストの上にブレザーを着なければ、それほどおかしくは見えません。
でも気温から考えても、校則から考えても、12月はブレザーを着なければなりません。
ベストを着れば、またきっとデブと笑われてしまいます。
おばあちゃんがこつこつ編んだベスト…。
渡してくれたときの笑顔を見ると胸が痛みました。
それでも、私はベストをたたんで、箪笥の奥に入れました。

翌朝、家を出ようとしたら、母に
「あら、今日はベストを着ないの?」
と言われました。不思議そうに首をかしげています。私は
「今日は昨日ほどさむくないから」
と言って、そそくさと出て行きました。
明日からはコートを着ようと思いながら。

それから、一度もベストを着ることはありませんでした。
箪笥を開けると、奥にしまい込んだ鮮やかな紺色のベストがちらりと見え、ちくちくと心が痛みました。どうしたらいいかわからないまま、ひき出しを閉じていました。


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やがて季節は巡り、中学生になりました。
そのころには、ベストのことをすっかり忘れて過ごしていました。
ある日、祖母の家で絵を描いていたら、祖母が
「ねぇ、あんたが小学生のころに編んだベスト、まだ持っとる?」
と言いました。私はどきっとして、鉛筆を持つ手から目が離せなくなりました。
もちろん、持っています。箪笥のひき出しの奥に入ったままなのです。
「持っとるよ」
私は努めてなんでもないように言いました。
祖母はほろほろっと笑って
「よかった。じゃあ、あんたにはもう小さいだろうから、いっぺん返してくれん?」
と言いました。私は、少しほっとして
「いいよ。なに?だれかにあげるん?」
軽い気持ちでそう言うと、祖母はにこにこしたままこう言いました。
「ううん。一回洗ってきれいにしてね、毛糸をほどいて、またなにかを編むんよ。今度はなにを編もうかね。もし、あんたがあの色を気にいっとるんなら、なにか編もうか?」
一回しか着なかったベスト…。
罪悪感を感じながらも、ずっと見ないふりをしていたベスト。
それが他のものに変わっても、あの頃の気持ちを引きずってしまうのではないでしょうか。
そう思った私は、話をそらそうと
「ベストの前はなんだったん?」
と訊きました。

おばあちゃんは目元をほころばせて、ほんの数秒、声を出さずに笑いました。(これは、祖母がしあわせをかみしめているときの仕草だと数年後に気がつきます)
そして、ゆっくりとお話してくれました。

「おじいちゃんのマフラーよ。ふふふ。実はね、マフラーを編むときに毛糸の量を間違えて買ったんよ。でも、短いより長い方があったかいかなと思うて、全部使い切ったんよ。そしたら、あんまりに長いマフラーになってしもうて。職場の人に笑われたんと。でも、おじいちゃんは「今に長いのが流行るわい」って言い返したんですって。頑固なおじいちゃんらしいでしょ。それから数回も使わんうちに死んでしもうたけど。おじいちゃんに編んだマフラーは、なかなかほどくことができんかった。あんたが生まれてから、いつか何かを編んであげようとほどいたんよ。毛糸はなんべんも生き返るからね。」

一回しか着なかったベスト。
人の目を気にして、大切にできなかった自分の弱さに胸が痛くなりました。
もこもこだって、いいじゃない。ありきたりな紺色だって、いいじゃない。
おばあちゃんが愛情を込めて編んでくれたものなら、はずかしがることなんて何もなかったのです。

思い出の毛糸を今度こそ大事にしたい、と思いました。
「で?なんか編んでほしいものある?」
おばあちゃんは、にこっと笑って聞いてくれたので、私は靴下をお願いしました。

出来上がった靴下はやっぱりもこもこで、靴下なのにとても靴は履けそうにありません。
でも、指先までぽかぽかしてやさしい気持ちになります。
冷たいフローリングの上を歩いてもなんのその。
冬の心強い相棒になりました。

祖母のお葬式で、最後のお別れのとき、もこもこ靴下を祖母のそばに入れるかどうか迷いました。
おばあちゃんの毛糸、おじいちゃんの長いマフラー、着られなかったベスト、そして心からあたたかい靴下…。おばあちゃんにお返しした方が良い気がしました。

逡巡した結果、靴下は私の手もとにあります。
それはきっと、「毛糸はなんべんも生き返るからね」と言ったおばあちゃんの言葉がわすれられなかったからでしょう。

いつか私にも大切な人ができたとき、この靴下をほどいてみようかな。
そして愛情を込めたなにかを編んであげよう。

そう思って顔をあげたら、空が笑ってくれたような気がしました。


今回も最後まで読んでくださってありがとうございました。

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