126 ごきげんオムレツ
太陽の光がまぶしい季節になりました。
洗濯物を干すとき、植物にお水をあげるとき、日焼けしたくないなぁと思いつつも、光の明るさにうれしくなります。
みなさんが思う、七月のイメージカラーは何色ですか。
職場でこの話題が出たときに、人によってこんなに色のイメージが違うんだ!と発見がありました。
みずいろ、と言った人がいました。
空の青さや、海はもちろんのこと、行きつけのバーで夏限定の水色のカクテルが出るそうです。そのイメージが強くて…とのこと。
みどりいろ、と言った人もいました。
梅雨明けのいきいきとした木々の緑色のイメージ。また、かき氷はメロン味派(!!)だからだそうです。
オレンジいろ、と言った人もいます。
ご実家に枇杷の木があるらしく、その実の色のイメージだそうです。
みんな、毎年同じ季節を過ごしているのに。しかも、同じ会社で一日のうちの八時間以上一緒に働いているのに。人の記憶や感じ方でイメージは変わるのですね。なんだか不思議で、おもしろくて、人の感性って愛おしいなと思いました。
ちなみに、私の七月イメージカラーは黄色です。
太陽の光とか、ひまわりとか、そういった夏ならではのもののイメージもありますが、私の黄色は、オムレツのイメージなのです。
たまごは年中出回るもので、オムレツももちろん年中食べられます。
オムレツ好きの私も季節関係なく食べます。
でも。
でも、なぜか七月の朝、まぶしい光の中で食べるオムレツは格別だと思ってしまうのです。
それには、こんな思い出があるからかもしれません。
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私は小学生のころ、毎年夏に叔母の家に泊まりにいっていました。
叔母の家は緑豊かな山の近くにあって、夜になると街灯の少なさから家周辺は真っ暗になっていました。葉っぱの豊かなにおいと空の広さ、高い建物のない風景に包まれた叔母の家は、いつまでいても飽きない、素敵な場所でした。
叔母の家で食べる朝ごはんは、いつもメニューが決まっていました。
具沢山のオムレツとパン。
パンはよく焦げて…いえいえ、香ばしく焼けていて、オムレツは絶品でした。
オムレツの具材はきのこやじゃがいも、チーズ、しらす、ほうれん草など、その時の叔母の気分次第。
明るい夏の朝、叔母が「できたよ〜」と言いながら、フライパンを持って出てくる姿は今思い出してもわくわくします。
オムレツがきれいにできたら私も叔母もごきげん。
へんてこにできても、おもしろいからごきげん。
ダイニングテーブルのすぐ隣が窓だったので、朝の光をふんだんに浴びながら朝食を並べていました。
黄色くてふわふわのオムレツにまぶしい太陽の光。
叔母と朝ごはんを食べながら、いろいろな話をしました。
将来のことや日々のちょっとしたこと、前の晩に見た夢の話など、話題はつきませんでした。
その中で、最も印象的だったのが、私の父のことでした。
当時の私は、父のことをどうしても好きになれなくて、悩んでいました。
父は、私が小学校にあがるまでは愉快な人でした。
一緒に漫画を描いたり、本を読んだりと楽しい時間を過ごしていました。
しかし、祖父が急逝し会社の経営が傾いたとき、父は日に日に不機嫌な人になっていました。
一緒に漫画を描いていた書斎に出入りすることは許されず、父は一人でもくもくと戦車の絵を描き続けていました。
ときどきお酒を飲み過ぎて、母と言い争いをしていることもありました。
兄も姉も父を避けて自室にこもるようになりました。
言い争いをしている父の言葉遣いの汚さに、私は落胆しました。
自分のことを育ててくれている父親に嫌気がさしているなんて。
自分でも薄情な娘だと思いましたし、このままではいけないと、なんとか父に歩み寄ろうと努力しようとしたこともありました。
しかし、そのたびに父の心ない言葉に傷つき、憎しみの気持ちが増えていきました。
こんなことは誰にも話せない。
話した途端に「でも、育ててくれているんだから」で終わってしまう。
「いつか大人になったら、親に感謝できるようになるよ」と言われてしまう。
誰かに相談したところで、ただ親不孝な子と見られるだけではないだろうか…。
「いつか」って、いつ来るの?
感謝できたら、この苦しみから逃れられるの?
やっぱり、親には感謝しなくてはいけないものなのだろうか…。
こんな誰にも話せないことをどうして叔母には話せたのかわかりません。
でも、明るい七月の朝食の席で話しました。
メニューは、やっぱりオムレツでした。
湯気がほわほわと出ているオムレツを前に、父に対する葛藤を思っている通りに話しました。言葉も選ばず、もしかしたら支離滅裂だったかもしれません。
すべて話したあと、話をふんふんと聞いていた叔母が言った言葉はたったひとつ。
「べつに、感謝しなくていいんじゃない」
でした。
「親に感謝できなくても、感謝できないことを悩んでいるなんて、やさしいじゃない。そんなふむちゃんも、私は好きだけど」
と。
たった一つの言葉が人を傷つけることがあるように、たった一つの言葉が心をふわりと軽くしてくれることがあります。そのことを叔母の言葉で知りました。
言葉を受け取ったとき、見えている景色はいつもよりクリアに、肩の重さがすっとひいて軽くなりました。そして、「あ、今私は救われた」と思いました。
目の前にあるオムレツの黄色の美しさ。
朝日はこんなに明るかったのです。
無理をしなくてもいい。私は今の私のままでいい。
簡単なことだけどれど、ずっとこれを誰かに言ってほしかった。
うれしくて、ちょっと泣いた朝でした。
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今では、父と程よい距離をとりつつ、うまく付き合っています。
大人になって、会社経営の大変さや四人の子どもを育てることの苦労を少しは理解できているつもりです。
父の性格もまるくなったのか、以前の愉快さを取り戻しつつあり、段々と話しやすくなっています。
今度実家に帰ったときは、オムレツを作ろう。
たまご料理が好きな父のぶんも作れたらいいな。
でも、不機嫌なひとには作らない。
父がもし、ごきげんだったら、ね。
今回も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
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