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147 いちごと光

冬の光は、やさしくてあまいね。
こう言ったのは、中学校のT先生でした。

背が低くくて、ショートカットで、丸い眼鏡をかけていて、英語を担当していた女性の先生でした。中学生になって、はじめて担任になった先生です。

私は、勉強があまり好きではない中学生でした。
それよりは絵を描いたり、本を読んだり、部活動に励む方がずっと楽しくて集中できるのでした。補習にかかってしまうと部活動に支障をきたすので、赤点にならないように最低限の点数だけとっていました。しかし、英語で毎時間実施される小テストは補習の対象外でしたので、適当にこなしていました。当然適当な点数でした。

あるとき、その小テストで3分の1しか点数が取れなかったことがありました。
それでも私はまったく気にしていませんでした。
すると、授業のあと T先生に声をかけられました。
「どうしたの?最近小テストの調子が悪いね」
私は
「こんなものですよ」
と笑いながら答えました。すると、 T先生は真面目な表情でこう言いました。
「できるよ。あなたは集中力があるから」

その時、私がどんな反応をしたのか覚えていません。
ただ、それまで家族以外の誰かからこんな言葉をかけられたことはありませんでした。

中学二年生になって、担任は変わりました。
それでも、 T先生は廊下で声をかけてくれることもありました。

私は先生にこんな質問をしたことがあります。
「どうして英語の先生になったのですか」

先生はさらりとこう答えました。
「英語が好きだから。それから、人の可能性に興味があったから。」
「可能性…」
私が言うと、先生はニコッと笑って
「そうよ。あなたにも大きな可能性があるよ」
と言ってくれました。

私が中学三年生になった夏、T先生は入院しました。
T先生が担当していたクラスは、学年主任の先生が担当することになりました。
生徒の間で、さまざまな憶測が飛びました。
T先生が担当したクラスでいじめがあったとか、不登校生徒が増えて心労がたまったとか、もともと持病をもっていたとか。

私は噂をなるべく聞かないようにしていました。
どれが真実であれ、入院した理由に明るいものはないと思ったからです。

気がついたら冬でした。
生徒達は受験前でピリピリとしています。
いつのまにか T先生の噂も聞かなくなっていました。

二学期終業式の後、みんなで帰宅している途中に、私は忘れ物を思い出して学校に戻りました。ばたばたばたと走って正門を通ると、そこにはひんやりと佇む校舎がありました。
上履きを履かずに靴下で人の気配を完全に失った廊下を歩きます。
清掃をした後のはずなのにほこりのにおいが漂います。
教室に入ると、もちろん生徒は残っていなくて、静まり返っていました。
古いけれど清潔な机と椅子がお行儀よく並んでいます。
冬なのにあたたかい日で、夕方になる前の光が教室いっぱいにあふれていました。

「良い日だな…」
そう思いながら、忘れ物を取って廊下に出たとき、 T先生がいました。
ショートカットで、丸い眼鏡。そして、赤いセーターをきていました。

「あ…」
私はびっくりして、言葉が出ませんでした。
先生はにっこり笑って
「髪、切ったのね。似合うね」
と言いました。私はなんと言ったら良いのかわからず、立ちすくんでいました。
「三学期には復帰するからね」
先生は廊下の窓の方を見て言いました。
「冬の光は、やさしくてあまいね。」
それは、私が教室で感じたことそのままでした。
そこでようやく
「さむいから、よりあたたかく感じますね」
と答えられました。そしてそのまま
「さよなら!」
と言って帰りました。

帰宅してからも、夕食を食べている間も、先生のことが忘れられませんでした。
髪を切ったことに気づいてくれたことも、似合うと言ってくれたことも、三学期には復帰することもうれしかったのです。

その日はクリスマス前だったので、夕食後にケーキが出てきました。
それを見て、私は思わず笑ってしまいました。
赤いセーターを着た小柄な先生がいちごにそっくりだったからです。
三学期が楽しみになりました。

しかし、三学期になっても先生は復帰しませんでした。
T先生のクラスは学年主任が担当していましたし、英語の時間に T先生がくることもありませんでした。そのうち受験が始まりました。
入試の日は、やっぱり雪が降りました。

三月の卒業式前、三年生全員が体育館に集合しました。
そこで、初めて T先生が亡くなったことを聞かされました。
一月に容体が悪化したこと。そのまま息を引き取られたこと。
このことはすぐ三年生に伝えたかったが、受験が終わるまでは話せなかったこと。

いつも明るい学年主任の先生が途中で声を震わせながらゆっくりと話しました。
体育館中が静まり、全員が言葉を失っていました。
みんないるのに、誰もいないような時間でした。
ほこりっぽい空気に光がさして、霞んでいました。
私は、その光に目を細めていました。

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何かに挑戦しようと思いながらも二の足を踏んでいるとき、先生の言葉を思い出します。
「あなたにも大きな可能性があるよ」

高校生になって、新しい制服に袖を通したとき、あるいは、社会人になってスーツを仕立ててもらっているときも、「似合うね」。

そして今、勉強と向き合う多くの学生たちに心を込めて伝え続けています。
「できるよ」

こう言うと、「がんばります!」と凛々しく言う生徒もいれば、はにかむ生徒も、泣き出す生徒もいます。でも、どの生徒でも、可能性はいつも大きく感じます。
T先生もこういう気持ちだったのかな、と思います。

そして、冬のやさしくてあまい光を感じるたびに、いちごのような先生を思い出すのです。

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