154 アネモネ散歩
今月、お花屋さんから届いたお花はアネモネでした。
あざやかな赤や紫や白のアネモネは、シンプルな花瓶が似合います。
窓辺とリビングの棚の二箇所に飾りました。
一本の茎にひとつのお花。
その下にくるりと一周葉をつけています。
窓を開けていると、やわらかな空気が部屋を訪れて、ふわふわとアネモネを揺らします。
アネモネの学名は、ギリシャ語で「風」の意味があります。
私も風に吹かれたくなって、お出かけしました。
心地よい陽光が道も木も信号も平等にあたためる春。
この季節は動植物も人も活発になりますが、どこかのどかさがあります。
花が終わった桜や木蓮は、若葉をたっぷり抱えています。
その下にできる木陰やこもれびの美しさ。
どの瞬間も見逃したくなくて、一秒ごとに変わる自然の模様を見つめていました。
さわさわさわさわ
どこからか風が吹いてきます。
さわさわさわさわ
木の葉とおしゃべりしているようです。
花にまつわる神話にかなしいものが多いのはなぜでしょう。
風の神ゼフュルスは、花の神フローラの侍女であるアネモネに好意を持ちます。
それを知ったフローラは、激怒してアネモネを追放します。ゼフュルスはアネモネを哀れに思い、花に変えます。
花になったアネモネは、何を想うのでしょう。
アネモネを失ったフローラは、ゼフュルスは、何を想うのでしょう。
さわさわさわさわ
風はめぐります。
花が好きだった祖母が亡くなったとき、初めて母の涙を見ました。
私と姉は言葉を失ったまま、棺の中を花でいっぱいにしました。
それからしばらくの間、母は元気なふりをしているように見えました。
ある日、私は祖母の夢を見ました。とても現実味のある夢でした。
朝食の席でその話をした瞬間、祖母がいないことを思い出し、「しまった」と思いました。
母は、私の思いに気付いたのか、にっこり笑って
「おばあちゃんに会ったの?どう、元気だった?」
と言いました。
私はなんと答えたら良いかわからず、まごまごしていました。
母は視線を下に落とし、紅茶を注ぎながら、
「私もこの前おばあちゃんに会ったのよ」
と言いました。カーテンがわずかに揺れています。
私は言葉に気をつけながら
「どうだった?」
と聞きました。母はふふふ、と笑って
「あっけらかんとしてた」
と言いました。
「あっけらかんと、おばあちゃんらしく座ってた。話はしなかったけれど、その姿を見ただけでじゅうぶんだったわ」
紅茶から出る細い湯気がゆらりと揺れます。
母は続けて話しました。
「いなくなったことはね、やっぱりさみしい。でも、こうやってたまに夢で会ったり、思い出したりできるのはうれしい。生きているときみたいに、自由におしゃべりはできないけれど、不意の来訪も楽しみになるのよ。」
音のない風がカーテンを湯気を母の髪をなでていました。
もしかしたら、かなしみは楽しみを生むのかもしれません。
季節によって咲く花も、気まぐれに吹く風も、いつか会う「そのとき」を楽しみにしているのかもしれません。
気がついたら、風が止んでいました。
風と木の葉の音楽もすっかり終わって、辺りは静かに夕方に向かっています。
私もそろそろ帰りましょうか。
開けっぱなしの窓は、きっと古い空気と新鮮な空気を入れ替えてくれたでしょう。
そして、部屋に飾ったアネモネは風に会えたかな。
今回も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
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