155 ホットケーキが焼けたら
少し暑いくらいの朝。
初夏へ向かう光が部屋を明るく照らしています。
数時間前まで空も部屋も真っ暗だったのに。
前の晩のことがふわりと頭をよぎります。
自宅の最寄り駅より二つ前で降りて、体を夜に浸しながら歩いていました。頭も体もへとへとなのに歩きたいと思ったのは、きっと酸素不足になっていたからでしょう。
夜風を切りながら歩を進めれば、今の状況と自分の想いと呼ぶにはあまりにも淡い心のかけらが通り過ぎていきます。
仕事に追われて、私のスピードでは時間が足りなくて、いつの間にか心の余白までなくなっていたこと。あわてる気持ちは苛立ちを生み、言葉尻にとげが潜んでいたこと。それに気付いて胸が痛んだこと。
葉っぱの匂いが鼻をかすめたとき、顔を上げて天を仰ぎました。
黒に近い紺色にちらちらと瞬く星、規則正しく並ぶ人間が作った街頭の星。そして、やや欠けた月と、月光から生まれる影。
あぁ、私の上にはこんなにも大きな空が広がっている。
つめたい夜の空気をうんと吸い込んで、ざわざわする心をしずめた夜。
白っぽい月がずっと上にいてくれました。
青い空になった今は、とてもまぶしい。
月はどこかへ行って、太陽が世界をあたためています。
それでも前日の暗い気持ちはまだすぐ近くにいて、いつでも私を攻撃できるようスタンバイしていました。
ホットケーキ作ろう。
きっと、ホットケーキが焼けたら、暗い気持ちもどこかに行くから。
卵と牛乳を用意して、ホットケーキミックスを使った気軽なケーキ。
バニラエッセンスをほんのぽっちり入れるのは、おばあちゃんに教えてもらったおまじない。
ボウルの中で、さらさらだった粉も、ゆるゆるだった卵も、牛乳もみんな一緒になっていきます。窓から入る風も混ぜ込んで、ふんわりと生地を合わせます。
少し緊張しながら、熱したフライパンに生地を流します。
とろとろとろとろ。
まあるく、まあるく。
陽光は部屋の隅々まで入っています。
ベランダの植物も太陽を歓迎しているようで、きらきらしています。
月も輝いているのに、まぶしいと感じないのはなぜでしょう。
生地がふつふつしてきたらひっくり返して、焼き上がるまで待ちます。
ほかほかの湯気と甘い香りが広がります。
明るい朝、さわやかな風、お月さまのようなやさしいホットケーキ。
しあわせじゃないの。
ふとそう思いました。
落ち込むこともあるし、うまくいかないこともあります。
暗い気持ちを引きずってしまう朝もあります。
でも、一瞬一瞬を味わう気持ちでいれば、光を見つけられます。
きらきらと輝く宝石のような幸せではないかもしれないけれど、やわらかく照らす月のような身近で素朴な幸せはいつだってそばにあります。
ほら、もうすぐホットケーキが焼き上がります。
今回も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
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