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110 なつかしい約束

すっかり春になった空の下で、その日も電車に乗りました。
ゆらゆらと揺れながら、繰り返されてきたいくつもの午前と同じように
その日も電車の中で立っていました。

冬は曇り空が多かったので本ばかり読んでいましたが、まばゆい光が
美しい今の季節は、電車の窓から見える風景を楽しんでいます。

仕事場に着くまでに電車は3つの川を超えます。
川はそれぞれの輝き方で太陽を受け止めています。
大きめのたっぷりとした川、幅はやや細いけれど土手が充実している川、緑色の橋がかかった川。
どの水面も春の光を反射してきらきらしています。

電車の後ろの方に立っていると、どこからかそよそよと風が入ってきました。
風の入り口を探すと、からっぽの運転席の近くにある細い窓が開いていました。
穏やかだけどわずかにひんやりとした風。
耳元を過ぎていく空気は、新鮮で心地よく流れてゆきます。

その風に合わせたように、目の前に現れては遠ざかる家や川、空、街路樹。
なにもかもが通り過ぎて、どれひとつとして止めることはできません。

そんなことをふわふわと頭に思い浮かべていると、これまで過ぎてきた日々を思い出しました。
こんな風になんとなく仕事に向かう日。行きたくない気持ちをなんとか抑えながら仕事に向かう日。楽しみな予定のある日。同じ電車に乗っていても、毎日ちがう日でした。

そして、どれも過ぎてしまってもう戻らない時間たち。
それぞれの輝き方で私を後押ししてくれます。

電車の外を流れる景色を見ながら幾重にも重なった時間を感じました。

もうすぐ終点です。
終点には、私がお勤めする職場があります。
準備をしようとしたとき、風が入ってくる窓に何か見えた気がしました。
手を止めて見ると、線路の傍に黄色い花が咲いていました。
風でゆらりとゆれているようです。

あれは…
たしか去年もこの季節にあの場所で咲いていた花です。

しかし、そう思った途端、黄色い花はぐんぐん遠ざかっていきます。

ほんの少しの時間しか見えなかったため、どういう名前の花なのかはわかりません。

でも、昨年あの花を見たとき、新しい年度に向けてばたばたしている日々を愛おしく思ったことを覚えています。

大変だけどがんばろう。たとえ毎日同じようなことをしている気がしても、たとえ意地悪なもう一人の私がやる気をなくす言葉をかけてきても、今できることをやろう。
花は意味など考えずきれいに咲いているじゃないの。
私は私の役割をまっとうしよう。

黄色い花は毎日訪れる電車を見守ってくれていました。
種のときも、つぼみのときも。

電車を降りたあと、線路の方を見ました。
小さな黄色い花は、やっぱり見えませんでした。

それでも私は話しかけます。
今年も咲いたね。小さくても、見えるのは一瞬でもきれいに咲いたね。
あなたは今年も、役割をまっとうしたね。

なんだか、なつかしい約束を思い出したような気持ちになりました。

線路の傍に咲いた小さな小さな花。
あたたかな日差しに顔を向ける春の命と淡いことばを交わせた気がする、小さいけれどとてもやさしい時間でした。


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