森のくまさん

小学校教員です。読書録・考えたことをゆるーく載せていけたらと思っています。よろしくお願…

森のくまさん

小学校教員です。読書録・考えたことをゆるーく載せていけたらと思っています。よろしくお願いします。

最近の記事

「跳び箱ができるとき」に立ち会って思うこと

 毎年、何年生をもっても、跳び箱運動を行う。この跳び箱運動がなかなかにやっかいだ。なぜなら、得意と不得意が分かれるからだ。  私は、「どんな子でも、○分で全員跳び箱達成!」ができるスーパーマンではない。でも、ほとんどの子どもは、跳び箱を跳んでいく。私の跳び箱指導を少し紹介する。 私の跳び箱指導の要点3つ。  跳び箱は、大きく分けると、「助走」「踏切」「空中」「着手」「着地」に分かれる。それぞれで、必要なスキルを細分化して、その子に必要なスキルを指導していく。  私が大

    • 今だからこそ、コトバのチカラを。

       衝撃的であり、非常に共感できる記事があった。  今の子どもたちは、伝える「コトバ」を持ち合わせていない。このことに共感する学校関係者は多いだろう。「死ね。」「だるい。」これらの言葉を、その意味とは違うシチュエーションで使ってしまう。それを憂い、厳しく指導する教員も多いことだろう。  しかし、この「コトバ」の問題は、子どもの問題ではない。その考えは、以前書いた下の記事をぜひ。  この記事を通して、子どものコトバの「いま」を見つめ直し、どうしていくかを探っていきたい。

      • 「子どもの言葉」は、「子どものもの」ではないと心に刻んで

        教室における「悪い言葉」を、どうとらえますか?  「おい!てめぇ!ふざけんな!」  「死ねや!」「殺すぞ!」  「まず、土下座してもらえますか?」  書いていくうちに、げんなりしてくる。全て、私が教師になってから、子どもが発していた言葉たちだ。  これらは、「悪い言葉」とくくられるだろう。「暴言」「相手をけなす言葉」とも言えるか。  これらの言葉を聞いて、どんなことを考えるでしょうか?  (なんてひどい言葉を言うのだろう。)とまずは、言葉に着目するでしょうか。  (こん

        • 本当の「学び」を目指して 〜「他者参照」によって自ら働きかける学びを生む〜

          強制は学びにつながるのか?  学校現場では、「させること」が必要だ。「学習規律」「学校スタンダード」「宿題」…。どれも「させること」だ。  ところで、この「させること」は、本当に学びになるのだろうか。 自分の体験から考える  自分は、これまで「学校社会」に適応してきた人間だ。  委員長、児童会副会長、生徒会長、部長、ゼミ長などなど、小学校から大学まで、「〇〇長」という名前のつくものについていなかったことは、ほとんどない。  どれも、自分から立候補してきた。  先輩や先生

        「跳び箱ができるとき」に立ち会って思うこと

          全体交流って必要ですか?

           今日は、オンラインと対面のハイブリッド研修を企画した。自分の所属するサークルの例会だった。  対面の皆さんにもズームに入ってもらって進めてみた。  最初は、対面の人とオンラインの人が、ブレイクアウトルームに入って、交流してもらった。当然であるが、対面でやる価値がないと分かった。対面をわざわざ分離させることに意味はない。まあ、ちょっと考えてみれば分かることなのだが、やってみて、その滑稽さをより強く感じた。これは、こちらの設計ミスだった。  そこで、次は、対面とオンラインを分け

          全体交流って必要ですか?

          今の成果は、20年後に出るからこそ。

          自分は、34歳。息子は7歳。だから、子どもが心配。  『子どもが心配 人として大事な三つの力 養老孟司著 PHP新書』を読んだ。  以前、近所の古本屋が閉店セールをしていた。そこで、いくつかの本を選んで買った。この本に惹かれたのは、「子どもが心配」というタイトルにあった。  私は、現在34歳。生まれてから、親、幼稚園、学校と様々な場所で教育を受けてきた。その結果、今ここにいる。  息子は7歳。私の生まれてから7年間と、息子が生まれてから7年間は、社会の変化のスピードが違う。

          今の成果は、20年後に出るからこそ。

          読書録「差別のない社会をつくるインクルーシブ教育 誰のことばにも同じだけ価値がある」

          なぜ、この本をとったのか  地域の図書館の新書にこの本があった。2022年10月26日初版。この本が出たことをFacebookで知った時、買おうか迷った。その時お金の使い方に迷っていたからかな。  でも、教育者の端くれとして、「インクルーシブ教育」という言葉は、何度も聞いているし、重要なことだって分かっている。でも、なかなかこういう本を取っていなかった。  今回、取ろうとしたということは、自分が本当に「個を見る」ということに意識が向いてきたからかもしれない。 インクルーシ

          読書録「差別のない社会をつくるインクルーシブ教育 誰のことばにも同じだけ価値がある」

          近いけれど、遠いってどれほど本気で思えるか

          ゴールデンウィークが終わった。休みが終わってしまったという喪失感は少ない。 やったことと言えば、バーベキュー。近所の肉屋で、三密を避けようと家でバーベキューをしようとする人が密集しているという本末転倒な展開に、(なんだろうなあ。これでいいのかなあ?)という疑問をいだいたことが、思い出だ。 様々なネットニュースを眺めた。ご存知のこととは思うが、ネットニュースにはコメント機能がある。 最近見る記事のコメントには、いいねが優に1万を超えるようになってきた。これを見て、かなりの

          近いけれど、遠いってどれほど本気で思えるか

          未来の自分への提言〜みえることを疑いなさいよ〜

          子どもの見え方と大人の見え方「みどり色だよねぇ。」 今朝、自分の子がからし色のコーヒーカップを見て、つぶやいていた。パートナーが、「からし色って言うんだよ。」と言うと、 「みどり色なんだけどなぁ。」 子は、みどり色に見えたらしい。わたしもパートナーも、それを見て、まぁそれでいいかと思ってスルーした。 noteを開いたときに、ふと、そのことがあたまをよぎった。それを着想に、書いてみたいと思った。 みえるってなんだろう?今回、子と私の見え方は違っていたのだ。 子はなぜ

          未来の自分への提言〜みえることを疑いなさいよ〜

          大切なものがゆらぐ「いまの自分」を書いておく

          大切なものが消えていく大切なものはなんだろう? おかね。あたたかいおうち。気分のアガる服。お気に入りのモノ。美味しいごはん。大好きなひと…。 わたしにとっては、それが「かかわり」だったということがここ最近わかってきたのである。 それは、大切なものが消えていっている感覚をもったからだ。 そう。コロナのせいで。 「優先順位」という便利な言葉コロナウイルスの怖さは目に見えない。正しいことは誰もわからない。何人くらいが死ぬのか。どれくらいウイルスが生きていられるのか。致死率

          大切なものがゆらぐ「いまの自分」を書いておく