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さくらおばさんのこと

昨日、私の飼い猫だったさくらおばさんの一周忌時の記事を間違って削除してしまったのですが、サルベージできましたので再投稿させてください。すみません。

以下、その記事です。

(2018.3.28投稿)

一年前の今日、飼い猫のさくらが亡くなりました。17歳でした。
以前のツイッターアカウントのときと、後に始めたインスタグラムで、沢山の方に「さくらおばさん」と呼んで可愛がっていただきました。
ありがとうございました。

今の心境は、まだ一年しかたっていないのかという感じです。もう二年とか三年たった気がする。あっという間だったという意味ではなくて、この一年がとても長く感じました。
年をとると時間がたつのがどんどん早く感じるはずなのに、さくらがいなくなったあと、泣いても泣いても涙が枯れなくて、時間が間延びして感じました。


そうは言っても大人なので、毎日めそめそしていたわけではなくて、それなりに仕事をしたり、好きなことをしたり、楽しく過ごしてはいました。
さくらがいた頃は泊りがけで出かけるとき、家族やペットシッターさんに前もって頼まなくてならなかったので、この一年はあちこち気楽に出かけられて、それはそれで解放感がありました。


去年、インスタグラムには少し書いたのですが、さくらが体調を崩したのは2月の頭でした。
亡くなったのが3月の終わりなので、約二か月の闘病生活でした。闘病と言っても治療が一時うまくいって、かなり元気になった時期もありましたし、
痛いとか苦しいとかの症状は幸いないようでした。


本格的に寝込んだのは最後の一週間くらいで、その二か月、動物病院に点滴に通う以外は、家でいつも通りのんびり過ごしていました。
量は減りましたがご飯も食べて、水も飲んで、自分の足で歩いてトイレにも行っていました。
それどころか夜になると、私のベッドにぴょんと飛び乗って寝ていました。


さくらは子供の頃からずっと病気らしい病気をしたことがなく、体が強くて、とにかく元気で健康な猫でした。
体だけではなくて気も強くて、獣医さんに長く触られると、野生の山猫みたいに怒って手がつけられなかった。

通っていた獣医さんが、もっと高度な治療ができる大きい病院で検査する方法もあると言って下さったのですが(さくらがエコー検査を嫌がってはっきりはしなかったのですが、三臓器炎ではないかということでした)、でも長い移動時間と、慣れない病院への通院で、さくらの最後の時間を苦痛ばかりにしてしまうことがいいこととはどうしても思えなかった。
今でも時々、もし高度な治療を受けていたら、もう少し生きられたのかもしれないと思うこともあります。
あまりに病院嫌いなので、いつの間にか年に一度の健診にもあまり連れていかなくなっていて、それも時々後悔してしまいます。
でもやはり仕方なかったのだ、最後の二か月、さくらになるべく苦しい思いをさせず、穏やかに過ごさせてよかったという気持ちが大きいです。
私のベッドに上り下りできなくなった最後の10日間は、リビングに布団を敷いてさくらと一緒に寝ました。


さくらはただの三毛猫なのですが、私にとって、親友で姉で妹で娘で、母親みたいな、恋人みたいな存在でした。
いなくなってしまって淋しいです。
でもさくらと過ごした楽しい時間や、ほわほわであったかい体の重みは、私の生涯でものすごく貴重な宝物になりました。
さくらがいてくれてよかった。
さくらが幸せだったかどうかは、相手は猫だからわかりませんが、少なくとも私のことを好いてはいてくれたと思います。
また生き物と暮らして、いつかその子を看取るのかと思うと、つらくてつらくて仕方ないので、この先猫と暮らす日が再びくるかどうかはわかりません。
でも猫や犬や、小さき生き物が私は人間よりも好きなことは確かです。


この一年、思う存分めそめそしたという不思議な充足感があります。
さくらのお骨はまだ家にあって、一生手放せないのではないかと思っていたのですが、今年、庭の工事をすることになったので、そのときお骨を埋めて何か花の咲く木を植えようという気持ちに今はなっています。


みなさまのお家の可愛い生き物たちが、幸せな一生を送れますように。


(ここからは追記です、重複も多くてすみません)

亡くなったときのインスタも貼っておきます。


そういえば、さくらの呼び名ですが、最初は「さくちん」と呼んでいたのが、途中から「さくらおばさん」になったのは、ある日、さくらが自分より年上になったなと感じたからです。なんか目上のひとみたいな存在になりました。

でも晩年、実は私はさくらを「さくっちょ」と呼んでいました。それは老いたはずのさくらがなんだか赤ちゃんみたいにピュアになったなと感じたからです。

呼び名がどんどん変わるのって、なんだか愛。


何か動物をそろそろ飼わないの? と聞かれることもいまだに多いです。

人間よりも動物のほうが明らかに好きだし、猫や犬やその他の生き物を見かけると無条件に心がときめくし温かくなるのですが、その死を看取る勇気が三年たった今でもまだ出ない、というのが正直なところです。


なんか淋しい話になってしまいましたが、さくらや歴代の猫と犬が私にくれた時間は本当にきらめいていて、思い出すにつけ、あー可愛かった、あー大好きだった、心が通じ合っていた、と思い出します。

いつかまた、ふかふかしている小さきもの、いや、ふかふかしてなくて大きなものでもいいので(牛とか?)、一緒に暮らせることがあったらと思います。


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