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わからないもの。

今回は玄田有史さんの『希望のつくり方』を読んで感じたことを書いてみたいと思います。読んで感じたものをそのまま伝えたいので引用はあまりしません。あと、これを読んでも希望のつくり方は分かりません。

もう少し短いと嬉しいと言われたので短く書きます。

あんまり固い話はしたくないけれど、話す前提として「希望とは何か」だけは書いておきたいと思ったのですが、この本では希望を定義づけていません。ただ、希望とは何かに関するヒントとして

Hope is a Wish for something to come true by action.(行動によって何かを実現しようとする気持ち)

と記されています。

この本では、希望は不確実な未来があるからこそ抱くものだと、将来に対する不安があるからこそ抱くものだとされています。先の見えた未来や安心した将来に希望は抱きづらい、と。未来や将来に対する思考は止まることを知りません。特に、自分と同世代の人たちは今まで生きてきた中で1番考える時期だと思います。

私たちは今まで「勉強」や「学問」を通して未来を見通す力や人生を生き抜く力を付けてきました。付けてきたとされています。しかし、

「学校でしてきた勉強は意味があったのか?」
「学んできた学問は今の生活に生きているのか?」

おおよそ答えはNOでしょう。しかしそれは、習ってきた国語や数学や理科や社会が生きているかと聞かれるとNOというだけで、皆さんもどこかで「いや、なんだかんだタメになったよな」と感じてると思います。その不思議な感覚の正体は、

「『わからない』ということに慣れてきた」

ことだと著者の玄田さんはおっしゃっています。わからないという状態は不快で不安で、怖いものです。しかし、そのわからないという状態に慣れることを学校でしてきたからこそ、私たちは未来に対する選択を積み重ね、今の自分が生きています。そして、これからもわからない未来を生き抜いていくことができると思います。
大切なことは「わからない」ということで簡単に諦めない、逃げ出さないことであり、「わからない」から不安だとか、つまらないと思わないこと。それに立ち向かっていくことです。


僕は「勉強好きなの?」と聞かれることがよくあります。「好きだよ」と答えるとなんだか気持ち悪いので「んーまあ嫌いじゃないかな」とか「好きなことしてるだけだからね」とか言ってきました。
実際、勉強が好きかと言われるとなんだか違いますが、「わからないことを知ること」が好きなんだと思います。多分そうやって生きてきましたし、これからもそうやって生きていくんだと思います。
大学卒業して専門学校まで行ってすごいねとか言われますが、僕は好きなことをしているだけですし、社会に出てお金を稼いでいるみんなの方がよっぽどすごいと感じています(本当に)。


既に長くなってしまったのに終わりが見えないのでこの辺にしておきます。ここまで読んでくれた人は僕が何が言いたいかわからないと思います。けど、それでいいんです。
何かわからないものを読んで感じて、その人の中に「ふわっ」とした感覚や思考が生まれてくれると嬉しいです。僕もそういう文章が好きです。

ではまた。

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