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その先が見える

タイトルのフレーズは、私がものすごくハマってたドラマ「舟を編む」に出てきたものです。

もっと詳しく書くと、

年齢を重ねて長く生きると、色々な出来事のその後を見ることができて幸せだ、

という意味です。

(もちろん、「その先」は良いことばかりではありません。でも、悪くなっても、その悪いことにも先があって続いていくのです。)

これを私自身が強く感じた出来事がありました。

数日前に行われた息子の古巣のピアノ教室の発表会でのことです。


息子はこの春大学を卒業して社会人となりました(就職はしておらず、独自の生活を送っています。無事生きてることに感謝。)

当然もうピアノは習っていません。でも、ピアノと教室は好きなようで、発表会にはOB枠で演奏したり裏方の手伝いをして繋がっています。

最近あった発表会でも裏方の手伝いに遠方からバイトの合間を縫ってきてくれました。

先生からは、是非演奏してと言われてたのですが、どうもここ一年ほど気分が乗らなくて、全くピアノを弾いておらず逆立ちしても無理だったようです。それどころか、練習用に持っていたキーボードも手放そうとしてました。

ついに、息子もここで一旦ピアノともお別れかなと私は感じていました。

残念ですが、息子の気持ちがピアノから離れたのなら仕方ありません。ピアノに関しては、今は私自身が習ってるので、息子が弾こうが弾くまいが余り気にならなくなりました。上手なのにやめちゃうのは勿体無いとは思いますが、それだけです。

やはり、やりたいことは自分でやるのが一番です。たとえ伸び代が殆どなく大した上達が見込めなくても。子供に代理でやらせて勝手に期待するのは絶対駄目です。

しかし、弾くことは諦めたにせよ、裏方をしにわざわざ来てくれるのだから息子偉いです。先生もその気持ちが嬉しいと評価してくださいました。(この先生はとても褒め上手です)

さて発表会当日。会場は市内で一番大きく素敵な劇場にある小ホール。ピアノはスタンウェイ。豪華な盛り花も飾られ、ライトを浴びたステージは落ち着いた輝きを放っています。演奏者は子供から大人まで綺麗なドレスやスーツを身につけ夢の世界のように華やかです。その場にいるだけでワクワクしてきます。

この雰囲気で弾くことは、滅茶苦茶緊張するでしょうが、とてもやり甲斐のあることなんだと思います。それなりの演奏ができたと思えたら尚更です。だから、大人になっても戻ってくるOBOGが多いのだと思います。

発表会で幼児から大人までの演奏を裏方で見た息子。何か思うことがあったのか、帰宅すると、自分の昔の発表会の演奏が見たいと言います。

もちろん全部保存してありますから、家族の映像をしまってある引き出しをひっくり返してDVDを探し出し、めぼしいのを順に見ていきました。

自分の拙い映像に笑ったり、逆に「結構弾けてんじゃん」と悦にいったり、息子はしばらく楽しそうでしたが、ある発表会の映像になると、

「これ弾いた後、オカア(息子は私をこう呼ぶ)に怒られたんだよな」

と言いました。

あー、きたなー💦

実はこれ、私の超イタイ記憶の一つなんです。発表会という晴れの場で頑張って弾き終えた息子に、あろうことか私は、労いの言葉もかけずに演奏がなってないとダメ出ししてたのです。

いや、マジでドラマに出てきそうな駄目な親です。
しかも、私はど素人。自分も演奏家で色々わかってるなら、演奏についてあれこれ言ってしまうのも分かります。けれども、私なんて所詮「のだめカンタービレ」を読んで浮かれてる程度の、薄っぺら〜〜いニワカ音楽愛好家でしかありません。

完全に勘違いしてた当時のバカな自分を思い返すと、顔から火が出る思いです。

息子も余程理不尽だと感じたようで、折に触れて、この話します。私はその度に「その節は本当に失礼しました」と平謝りです。

で、今回もいつも通り謝ったのですが、その先が違いました。

「いや、俺、この時全然練習してなかったから、まあ仕方ないよ。」

と言うではありませんか。

まさか私の愚かな言動に、理不尽な思いをした本人から理解を示される日が来るとは思いもよりませんでした。

人の考え方った変わるんだなとしみじみと感じました。

(だからといって自分の行為を正当化する気はありません。あれは良くない行動としてずっと私の胸に刻まれています。)

この場面に立ち会えて、長く生きてきてよかったと思います。

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さらに後日談・・・・
息子はキーボードを手放すのをやめました。








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