「ここ倫」にはまる

「ここ倫」にはまっている。

「ここは今から倫理です。」という漫画作品だ。最近ドラマ化もされた。

難しい哲学書を読むのは苦手だが、哲学にも倫理にも私はとても興味がある。人の生き方について考えるのが好きなのだ。

最初にドラマを見た。

これが最高に良かった。現代の高校生と倫理が、学校の教科以外でどう組み合わさるのだろうと思ったが、面白いように色々なシーンにぴったりとフィットするのだ。倫理はどんな人にとっても大切な問題だというのが良く分かる。

ドラマの映像も良かったし、劇伴もそれは美しかった。ピアノ主体で、中にはちょっとバッハみたいな旋律もあって(バッハだったのかな)、人が一人で深く考えたいときにぴったりだった。キャストも良かった。ちゃんと10代の子たちが高校生を演じていた。最近の若い子は本当に演技が上手だ。そしてみんなとてもかわいい。(年を取ったせいか、子供がかわいくて仕方ない。)

余りにも気に入ってしまい、一つのエピソードは必ず複数回見た。それでも足りなくて、原作コミックも現在出ているものを全部まとめ買いして、それでも足りずに哲学入門書まで買ってしまった。(苦戦しているが...。)

コミックも面白くて瞬く間に読んでしまった。ただ、漫画で描かれる人物は顔がデフォルメされているため現実感が感じられず、ドラマほど入り込めなかった。でも、この作者の絵にはすごくエネルギーが感じられて好感が持てた。

コミックのあとがきに載っていた、この作品を書く動機になったエピソードも感動ものだった。この作品を作ってくれてありがとうと思った。

(それにしても日々膨大な数の漫画作品を生み出す日本人の物語を紡ぐ力ってすごい。イマジネーションとかエネルギーが溢れまくってるのだろうなと思う。)

「ここ倫」はどのエピソードも魅力的だが、私が特に気に入っているのは、学校でいつも眠ってばかりいる男子生徒の話だ。

母子家庭らしく母親は夜遅くまで仕事で帰宅しない。だから家ではずっと一人で退屈なので、繁華街に出かけては遊び仲間と朝まで過ごす。昼間眠いのはこのせいだ。母親は放任らしく息子のこうした生活に苦言を呈することもない。誰からも文句を言われず自分のしたいようにできる生活。でも、男子生徒はそれを心底楽しんでいる様子でもない。いつもどこか空虚な表情でいる。

この男子生徒に、倫理教師は次のように問いかける。

あなたは今、その自由な生活がどこか不安なのではないですか?

このときに倫理教師が伝えたキルケゴールの言葉が

不安は自由のめまいだ

というものだ。
初めてドラマで聞いたときはガンと頭を殴られたような気がした。

不安が自由に関連してるなんて思ったこともなかった。大体、自由がなくて窮屈な状態の時に人は不満や不快感を感じるわけで、自由で開放された状態のときにネガティブな感情が出るなんてことがあるのだろうか。

でも、分からなくもない。例えば、これから10年くらい後、仕事も引退して、悠々自適な生活がずっと続くようになったとき、それを幸せと思えるかは自信がない。自分が世界のどこにも引っかかっていないような気がして心細く思ってしまうかもしれない。

そういえば、今、参加している地域のボランティア団体は、自分より10歳以上年上の、いわゆるお金を稼ぐための仕事はリタイアした方々が主要メンバーなのだが、この人たちの生活がとても忙しいのだ。皆さん複数の団体で活動してて、習い事も色々やっている。正直、現役で仕事をしている私なんかより余程忙しそうなのだ。自由な時間を大量に抱えるって、実はそんな良いことではないのかもしれない。

それにしても、ブラックな職場で極度に自由を奪われた生活をするのも苦しいけど、自由な状態で生きるのも不安。人生って本当に難しいなあと思う。

「ここ倫」では、倫理の先生は、男子生徒に夜遊びに行かずに映画を見るように勧める。二時間も座って苦手な字幕映画を見るのは面倒だと、最初、男子生徒は反発する。
しかし、先生は、

映画に縛られる2時間は、
自由はないが、不安もない。
それは本当にただ単純に楽しい時間だから

と伝える。
何かとても良いヒントをもらったような気がした。
自由と不安はセットだし、楽しさはその対象に束縛されるからこそ感じるもの。頭の隅に入れておくと、これから時間を有意義に使えるようになるかもしれない。

やっぱり哲学とか倫理って面白い。
「ここ倫」は秋に新巻がでるみたいだ。それまでに、哲学入門書を読破できてると良いのだが。

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