見出し画像

カズオ・イシグロ 忘れられた巨人

ローマという巨人はこの島から去った。
アーサー王という巨人はすでに逝った。
魔術師マーリンは死神さえ欺くかに見えたがついに力尽きて果てた。

カズオ・イシグロはそんな時代背景を置いて語り始める。

画像1

「多くの者が現れてはこの霧のかなたに消え去る。そして人々の記憶からも消えて行く。この霧の正体は一体何なのだろう」こう考える男は、かつてアーサー王の陪臣であった。ローマ風の名前はアクセラムとかアクセラスと名乗っていたはずだが、今はその名前さえも忘れてしまった。

山頂の洞穴の竜が死ねばこの霧が晴れて、人々の記憶が還るというまやかしを吹き込んだのはキリスト教の僧たちである。山頂の洞穴の竜とは、ブリントン人が信仰して来たケルトの神々の象徴である。今は異教と蔑まれつつあるが、かつてはこのブリトン人の国を守護した神たちの教えである。

ここにもう一人のアーサーの陪臣がいる。
必死にケルトの神と信仰を守ろうとする老騎士に向かって、老婆たちが石を投げる。キリストの教えの中でヨハネによる福音書は「罪のない者だけが石を投げよ」と示しているのに、この仕打ちをする老婆たちは、本当に罪なき者たちだろうか。

老騎士はキリスト教徒の若き騎士に負け、洞窟の竜も屠られた。
全ての偉大な記憶はキリスト教という霧におおおわれて遠い記憶に変わり、ついに消え去っていった。

妻ベアトリスの手を引いて二人で彼岸に至ったブリトン人のアクセルは、ケルトの神々の教えの道を歩んで死を迎えつつある。それはキリストの教えの天国ではない。ケルトの神話が伝えてきた向こうの世界のことである。そこには遠い昔に失った息子と、ほんの少し前に船に乗って渡っていった妻が待っていると思っている。

---------[追補]---------

このカズオ・イシグロの小説は「社会の記憶と忘却」を題材にしたと言われることもあるようです。イギリス国内の書評としては穏当だと感じます。私の個人の感想では「失われたケルトの記憶」のように、世界に普遍的にある征服と被征服あるいは民族の吸収のような事象を扱い、急速に文化的な平坦に向かう世界へのあがらいを象徴した物語に感じました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?