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どうやって「学ぶ事を楽しい」と感じてもらうか。


アインシュタインなど歴史上の偉大な人物ばかりでなく、世界的な経営者にも多いユダヤ人。迫害と離散の歴史を持ち、“流浪の民”と呼ばれるユダヤ人が、優秀な人物を数多く生み出してきた秘密は、子どもたちの好奇心と才能を大事にする子育て法にあった。
ユダヤ人といえば、「大富豪」とすぐに思い浮かぶかもしれない。ロスチャイルド家をはじめとした経済界のユダヤ系富豪たちのイメージが強いが、実際にはユダヤ人であることで重税を課せられたり、就く職業が制限されたりした歴史を持つ民族でもある。
しかし、経済的成功よりもユダヤ人が誇りにしてきたのは、多くのノーベル賞受賞者や歴史を変えてきた偉人たちだ。
現在では世界中に1400万人ほど、東京都の人口程度しかいないにもかかわらず、ノーベル受賞者の約22%をユダヤ人が占め、アインシュタイン、フロイト、マルクスといった時代を塗り替えた人物を輩出してきた。

アルバート・アインシュタイン(Photo by ullstein bild/ullstein bild via Getty Images)
Facebookのマーク・ザッカーバーグ、Googleのラリー・ペイジ、ゴールドマン・サックスのマーカス・ゴールドマン、スターバックスのハワード・シュルツなど、起業家や経営者も多い。
しかし、歴史をたどると重く苦しい。紀元前までさかのぼるユダヤ人の歴史は、約4000年。そのうち約2000年も、繰り返される迫害の中を“流浪の民”として生き抜いてきた。国を追われながらも大事にしてきたのは、人に盗まれることのない“頭脳”、そして世代をつなぐ“子ども”なのだ。
「ユダヤ人にとって、子どもは宝。学ぶことは、子どもに親がしてあげられる最大の愛です」と話すのは、『ユダヤ式「天才」教育のレシピ』の著者であるアンドリュー・J・サターさん。
「ただし、この“学び”は、日本のそれとは考え方がまったく異なります。日本には『良い大学に行けば成功が約束されている』という見方がありますが、ユダヤ人にとって学びは生きていることの一部。
そしてこの学びは、成績ではなく“好きなことを追求できる力”を指しています。ユダヤ人にとって、学びは生きていることと同義であって、目的を達成するための道具ではないのです」

興味の瞬間を逃さないのが親の役割
イスラエル以外でユダヤ人が一番多く居住するアメリカで生まれ育ったサターさんは、ハーバード大学に進んだ後、特許などを専門とする国際弁護士として活躍し、現在では日本の国際教養大学で教えている。
祖父の時代に当時のオーストリア・ハンガリー帝国(現ウクライナ)から移住し、親戚はルーマニアにもルーツを持つ。
母キャロルさんは、常に「あなたはなんて素晴らしいの! 私の誇りよ」と褒めてくれたが、それは決して成績など人と比較した評価ではなかった。それどころか、4人の子どもたちを比較して育てることは決してなかったという。
「ユダヤ人にとって大事なのは、“好きなこと”を持つこと。子どもも早くから自分の好きなこと、熱中できることを持つことが奨励されます。好きなことがあれば、親は全力で肯定し、サポートします。逆に、好きなことがない人は、周囲から心配されてしまいます」
子どもが好きなことを見つければ、大成するか否かは求めずにとにかくサポートし、褒め称え、伸ばしていくのがユダヤ流。
「どの親も子どもは才能の塊だと信じて疑わないのです。
日本人の妻、起子(ゆきこ)がユダヤ人の子どもに生花を教えた時、子どもたちがオアシスに鉛筆などを挿しても、その親たちは『見てよ、起子! こんな生け花するなんて我が子にはアートの才能があるわね!』と大絶賛。
専門学校を出た甥っ子が就職もせず麻雀にハマった時も、心配する妻をよそ目に親も親戚も誰も止めずに彼が麻雀に熱中することを肯定していました。
結果、数年後に彼は麻雀を欧米に普及させる協会の代表となり、事業を立ち上げるほどになったのですが、誰もそういった結果を求めていたわけではないのです。
『好きなことを追求できているこの子は大丈夫!』、そう信じていただけです。そうして絶対的な信頼を浴びてきた子どもは、親を裏切ることなんてできませんよね」

親から全肯定されて育つから確固たる自信を持ち、その才能を伸ばすことができる。他人に対しても寛容になり、自分と異なる意見を自然に受け入れられるようになっていく。
「私がこれまで日本の大学で教えてきた経験では、日本の大学生に聞いても自分の好きなことについて熱く1時間語れる子はめったにいません。いつもそれが残念でならないのです」
目につく場所にさまざまな本を置く
サターさん自身も、幼い頃から音楽、天文学、政治などに興味を持ち、新居の書斎にすでにあふれかえるほどに並んでいる本は、法律、哲学、経済学、文化論、歴史、科学、小説と幅広い。
書かれている言語も、英語、日本語に加え、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、フランス語、ラテン語……。本を原書で読むために独学で身につけた言語もある。サターさんの興味の範囲は広大だ。
「本は、私にとっていつもご褒美でした。何かを頑張ったり、母の買い物に付き合ったりした後には好きな本を買ってもらえました。
当時、田舎の街にもかかわらず、とても良い本のセレクションをしているユダヤ人が経営する書店があり、そこには政治経済から科学まで幅広い本が並んでいました。
買った本の一部は、今でも私の手元に残っています。ラテン語で書かれた歴史の本なども、その書店で買ったのを覚えています」

本の与え方とタイミングも見計らうことも大切だ。興味を持った瞬間を逃さない。
「ユダヤ人は、子どものことをとてもよく見ていて、何かに興味を示したら、その分野に関する本を与えたり、本物を体感させに博物館や美術館などへ連れて行ったりします。
“教育(エデュケーション)”という言葉は、もともと“引き出す(エデュカーレ)”という言葉からきていますが、まさにユダヤ人の親は子どもの秘めた才能を引き出すのは親の役割だと考えているのです」
子どもの才能を引き出す重要なツールの1つが、本なのだ。ユダヤ人の家庭の多くは、リビングなど大人から子どもまでが集まる場所に本棚があり、そこには写真集や図鑑、小説、芸術の本などが詰まっている。
「私の家の本棚にも両親が読む大量の本があり、記憶の中の両親はよく本を読んでいました。そして、何か質問するとそれに関連する本を出してきてくれました。お子さんがいるご家庭は、ぜひそうした大きな本棚を置くことをお勧めします。
上の方には大人の本、下の方には百科事典や図鑑など子どもが自分で調べられる本。子ども向けの本である必要はないので、文字が読めなくても見て楽しみ、日々触れる場所にあることが大事なのです。本は知識の集積です」
“学ぶこと=蜜の味”
ユダヤ人の子どもは4、5歳になると、聖書を読みユダヤの教えを学ぶために、ヘブライ語学校に通い始める。
子どもが嫌がらないように、昔は1文字覚えるごとにハチミツを舐めさせる習慣があったそう。まさに「学ぶことは蜜の味」を刷り込んでいくのだ。
男子は13歳、女子は12歳で行うユダヤ教の成人式では、聖書の暗唱も披露しなければならず、読み書きや暗唱の訓練は必須。容易ではないヘブライ語や聖書を理解するための学びの過程をポジティブに捉るための策でもあったのかもしれない。

ユダヤ教の成人式「バル・ミツヴァー」(Photo by Ronen Tivony/NurPhoto via Getty Images)
「新しいことを学ぶのは楽しい、いいことがある、と親や周囲から自然と染みついていくのです。
小さい頃から私は母に怒られた記憶がありません。多くのユダヤの家庭では、“アメとムチ”の“アメ”しかない。『勉強しろ』と言われたことは一度もないけれど、学びはいつも日常生活にありました。
夕食の後には、家族でよく母が考えたゲームをしました。例えば、地名のしりとりでは、前の人の言った地名の最後のアルファベットから始まる地名を言わなくてはいけない。兄弟でお互いに負けるのが悔しいから、一生懸命地図帳などを見て、Xで終わる地名とか、次につなげにくいものを探しました。
そうして新たな土地の名前や場所を学んでいきましたが、それは私たちにとってはあくまで遊びの時間だったのです」
小さい頃から、車が好きだと言えばモーターショーに、アートが気になればニューヨーク市立博物館やニューヨーク近代美術館に連れて行ってもらったというサターさん。中高で天文学にハマったのも、3歳頃から親の天体望遠鏡の模型で遊ばせてもらったからだという。
「親たちは、子どもに興味があれば才能を伸ばす機会を与え、本物に触れさせます。大人向けの本や施設だって構わない。子ども向けに手加減しているものにはユダヤ人はあまり関心を持たないのです。
本物を与えて、与えて、与え続ける。見返りを期待することはなく、子どもとその才能を信じ続け、絶対的な愛情を与え続けます。
そうされたら、子どもは好きなことを徹底的に追求し、自信も育ちますし、好きなことをもっと突きつめたいと学びますよね」
秀才に育てようとするのではなく、その子の才能を信じ、学ぶことの楽しさを教える。その結果が、ノーベル賞受賞者や起業家、偉人を多く生む結果につながったのだろう。
批判的な視点は新しい発見をくれる
一方、絶対的な信頼とともにユダヤ人の家庭で育まれるもう1つ重要なものは、“批判的なものの見方=critical thinking”だ。
「これは日本では、批判=非難と混同されがちでなかなか浸透しないコンセプトですが、相手の意見を否定することではありません。
しかし、ユダヤ人にとって『これはもしかしたら違うのではないか、何かおかしいのではないか』という目で本を読んだり意見を聞いたりすることは、その人自身への不信感や嫌悪とはまったく切り離して考えられます。
私も本を読むときは『この人の意見でどこか矛盾していたり、間違ったりしていることがあるかもしれない』と思って読むようにしていて、それは楽しみでもあります。
時には自分が書いた本さえ批判的に読み、新たな視点を発見します。この批判的な視点は、日本の若者にも養ってもらいたいスキルですね」

ユダヤ教でよく用いられる副読書『タルムード』は、1つの事案に対してラビAとラビBの異なる解釈が書かれ、それに対してまたラビCとラビDの意見が書かれている、というようにさまざまな意見が並べられた本だ。
それに代表されるように、1つの物事に対して人による解釈が異なっても構わず、その異なる意見を議論し合うことはユダヤ人にとっては当たり前であるという。
「ユダヤ人は議論好きで、周囲からは口論かと心配されるくらいヒートアップすることもありますが、その分相手の良い意見もすぐ受け入れます。
妻と口喧嘩になっても、自分になかった彼女の発想に『それはいい意見だね!』とコロっと変わるのも日常茶飯事。相手の意見に賛同できないからと言って、相手が嫌いなわけではないのですし、お互いに良い意見は取り入れていくことに抵抗はないのです。
それは子どもの意見であっても同じこと。ユダヤ人の大人は、子どもにも必ず意見を求め、それをバカにすることはありません」
こうした批判や意見の対立のとき、忘れてはいけない妙薬が、「ユーモア」だ。
「家族でテレビを見ている時も、コメディなら一緒に笑い、ドラマや映画だったらみんな思ったことを言い合いながら見るのが当たり前でした。どこがおかしいかを、ユーモアを交えながら話すのです。
この“ユーモア”もユダヤ人の家庭では重要。ユーモアなしに批判をしてはいけません。ユーモアがあれば、批判も共有できるし、受け入れられますよね」
長い迫害の歴史の中では、積み上げた生活もお金も捨てて逃げざるを得ないことも多かった。そんなときでも持ち出せたものは自分たちの頭脳、そして困難を乗り切るユーモアと好きなものを追求する力だった。
ユダヤ人にとって子育てとは、どんな苦境でも人生が楽しみに満ちたものだということを見つける力を根付かせてあげることなのかもしれない。
「私は今、日本の大学生たちに教えながら、すぐに就職できる、就職後に使えるスキルばかりを求める社会が不安になります。
大学でもリベラルアーツを教える学校が少なく、社会経験もないうちからコンサルティング的な手法ばかり身につけさせようとする。“好きなことを追求することを重視し、成果や結果を求めない”ユダヤ人の子育て観と真逆です。
仕事なんて働き始めてから何度も変わるかもしれないし、自分で仕事を創り出さなきゃいけないかもしれない。そんなとき新しい道を踏み出す力をくれるのは、幅広い分野の知識と好きなことを追求する力のはずなのです」

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