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女と戦い_2024年3月15金/快晴

先日、電車で坐っていたとき、ランドセルの女の子二人に出会った。
さっきの話のつづきかな、
彼女たちはわたしの前に立って、
一人の子がこう言うわけ。
「わたし、夢を見たいからハトになろうかな」
ハト。
ポロッポーと鳴く、あの、ハトである。
夢見るハトとは、なんてかわいいのだろう、
なんて思いながら見ていたのだけど、
わたしのほんわか気分はここで消えることになったのです。
ハトと聞いた片方の女の子が、すぐさま言い放ったのだった。
「でも、ハトは人に石をぶつけられるよ」
で、この悲しいことばに、
ハトの女の子はなんと返したと思いますか。
「じゃぁ、そいつをぶっ殺す」
ぜんぶで1分もしなかったんじゃないかな、
早口漫才のように「ハト」が「ぶっ殺す」に変わっていった。
小学校高学年に見えたけど、
この頃の男の子がやたらに「ぶっ殺す」と叫ぶのとはちがって、
ハトの女の子の「ぶっ殺す」は
大人びているぶんだけ本気に感じられた。
彼女はほんとうにそう思ったのかなぁ、
男の子をまねただけかもしれないけど、わからない。

いつからか、「戦う」ということにわたしなりの見方を持っていて。
それは、
もしも世界の首相の全員が「女」だったら、戦争なんてない、
と思うのです。
全ての国の首相が女性だなんてあり得ないけれど、
ま、だからこそなのでしょうが、
根拠のない確信と肌感を持ってそう思う。
じぶんやじぶんの周りを中心にして考えてみたら、
「女」は、そもそも「戦い」というものに興味がないのではないかなあ。
お人形を持って「戦わせて」る女の子を見たことがない。
おままごとしてるところに遠藤君がやってきて、
そこにあるリカちゃんを握って戦い始めたとき、
遠藤君はアホだと本気で思ったりもした。
女どうしの戦いというけれど、
あれは、ただ誰かにじぶんをよく見てもらいたいというもので、
相手を征服したいわけではないんじゃないかな。
女子のスポーツ選手とかプロレス選手とかはどうだろう。
もちろん目標があったりライバルがいたりするだろうけど、
対戦相手を叩きのめすような気持ちは、果たして湧いているのだろうか。
「男」の闘争心とか命令に従うとか、
そういうのとはちょっとちがうところで戦っている気もする。
それがなんなのかはわからないけれどね。

「女」のなかには「男」もあって、
「男」のなかにも「女」の部分がある。
一人の人間のなかに「女」と「男」の両方があり、
そのときどきでどちらかが出てくる。
男の人が戦争反対と言うとき、
その人のなかの「女」がてでいるのかもしれない。
世の中にもう少し「女」が増えたら、ピリついた空気も和らぐかも。

よんでくださった方、ありがとうございます! スキをくださった方、その勇気に拍手します! できごとがわたしの生活に入ってきてどうなったか、 そういう読みものをつくります! すこしでも「じぶんと同じだな」と 思ってくださる人がいるといいなと思っています。