憧憬は鎮火しないので、子どものころ憧れたことは、いつでもさっさとはじめたほうがいい話。合気道はじめました話。
記憶にあるかぎり、これほど嬉しい買物はなかった。
というくらい、目のくらむような体験だった。
合気道はじめて半年強、やっと買った。道着。
道着着て寝たいくらいオーバーランしてる。気持ちが。
別に入門後すぐ買ってよかったし、男性はわりとすぐ買うし、逆に同期のなかでいちばん遅かった。
師範八段に「お前まだ買ってへんのか」といわれて、道着をもってこられて「着てみい」と、サイズをあてられてやっと、
――あ、これ買わないといけないパターン…
となったくらいで、特別な思い入れをもっていたわけではなかった。
ジャージで参加していたほうが、初心者感をだせていいし、職場に分厚い道着をかついでいくのも、億劫だった。夏は暑いし。
なのに子どものように嬉しい。
視界に入っているだけで嬉しい。
背の太い白を、目がなでる。まるで大事な何かのように。
肌あたりのやわらかさを、肌が想像する。腕を通したくなるほどに。
式典用の綺羅綺羅しいドレスも、長時間かけて選んだワンピースも、こんなに胸ときめくことがない。
すごい。
道着なのに。
江戸期までのジャージなのに。
道場のなかでしか着られないのに。
なんでだろう。
そりゃ、袴は着たい。
ものすごく着たい。
部屋着としてでもたまにほしくなる。
ブーツと矢絣でハイカラさんをしたい。
歌を歌いながら自転車で木に激突したい。
ついでにモガもやってみたいが、はなはだしく脱線したので、強引に戻して、袴。
そう袴。
だってとても美しい。
受け身をとってひらめく紺いろ。
にじり歩くときの、裾さばき。衣擦れの音。
技をかけられ導かれているときの、ゆらめき。
合気道とは、風をはらむ袴の美しさを鑑賞するようなもの。
師範八段に「舞のようですよね」といったら、
したり顔で頷いてくれた。
「藤平先生(開祖)はな、神楽だといってたわ」
かぐら。
なんて美しい。
まあ、初心者にはそのような麗しい導きかたなんてできなくて、
頭で考えたぎこちない動きをしてるんだけど、うまいひとは美しい。
でもわたしはまだ道着である。
袴じゃない。
腰ひもをむすんで、胸ひもをむすんで、帯をしめて和装をするのは、
たしかに日本人として心弾むものなのかもしれない。
でも股下(ズボン)は、どことなく下着感があるし、
上も男性のほうが似合う気がする。
そう、そこで思い出した。
わたしは「道場にいってくる」というのが好きなんだった。
「あしたは道場だから」とか、「道場帰りだから遅くなる」とか、言うたびにときめく。
道場。
「頼もう!」と、がらんとした暗い道場に叫びたくなるこの気持ち。
背中には木刀にくくりつけたふろしき。
うす暗がりに墨痕あざやかな掛け軸が浮かぶ。香取明神と書いてある。
風が通ると、むうっとした夏草のかおりが流れた。
ぞうりの足は土まみれ。
遠くに、振り売りのかんざし屋の、のどかな声。
道場やぶりである。
江戸期の。
つまり妄想。
そういえば、「道友」ということばにもときめいた。
道を同じくすれば友になるのだ。しらんけど。
道場が同じなら、それすなわち友なのだ。勝手に。
このあたりでやっと気づいた。
合気道ということばにはときめかなくなっていたから忘れてしまっていたけれど、
中学生のころからやりたかった合気道に、
中学生のころと同じ明度で、まだ憧れていたのだ。
いいなと思った部活に、入らなかっただけなのに。
チャンスが巡りきた大学のころ、見学にいったけど、そのときも入らなかった。
なにか習いごとをはじめようと探していた社会人なりたてのころ、よぎったけどハードルが高かった。
運動神経がいいわけでもないし、十代でないとできないような気がしていた。
やってみたわけでもないし、悔しさのなかでやめたわけでもない。
だからさほど思い入れがあるとは思っていなかった。
やらなくて死んでも、たぶん後悔はなかった。
やらないままの人生で、光彩が変わるようにも思わなかった。
やってもないから、そんなのわからなかった。
なのに、やってみたら、得られるエネルギー量が高い。
行かなきゃと思って行ってるわけじゃない。
行きたくないと思うこともない。
フルタイムで働いたあとの平日に、夜9時すぎまで道場にいる。
帰ると10時をすぎる。
喜びも大きく、苦労は別になく、行くだけでとにかくたのしい。
覚えは悪く、左右もひんぴん行方不明になり、
前にいわれたことがまたできていないことに気づいてしょんぼりするものの、
頭と体がつながっていないわが身ですら、できる。
運動神経はどこかにおいてきたのに。
できるスポーツは、ある。あった。
憧れは、知らず知らずのうちに、ベターなものを捕捉している。
とらえている。合うものを、好きなものを、馴染むものを、続きそうなものを。
得られるエネルギー量は膨大である。
道着を触れるだけでうれしい。着たいがために道場にいく。
なでまわしたい、道着を。
浮かれている。完全に浮かれている。
憧れは、憧れのままじゃなくていい。
憧れているものは、さっさとやってしまったほうがいい。
できるときに、思いついたときに、余裕があるときに、こころが向いたときに。
遅すぎることはない。
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