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地方の価値は都市部へ発信した方がいい

男の子6人を一度に預かるとこうなるのね、と学んだ日曜日です。みなさまお疲れさまです。笑

さて、先日スライドを共有しましたけど、それを少しずつ、言語化していきたいなと。

軸になるのは

都市や企業がコピーできない資本=時間の経過=歴史(その土地独自の物語)
都市や企業がコピーできない資本=時間の経過=自然(原風景とメッセージ)
都市や企業がコピーできない資本=想い/熱量/共感=人、人生の物語

この3つ。

この3つが表現できるといいんじゃないか、という仮説、検証を、共有させていただいた回。


ちょっと最初から余談ですけど笑、なぜスイーツ作ってるのに、そんなに話せるの?と聞かれることが多くて

それって、そうじゃないと、何も進められなかったからだなぁと、ちょっと落ち着いた今、振り返って思います。

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地方の過疎地で専業主婦から起業して3年、右も左もわからない中で、どうしたらいいんだろう?とどの瞬間も自分に問うのが普通でした。

手取り足取り教えてくれる人はそばにいなくて、知りたいことがあれば、時間とお金と体力と知恵を出して現地に行き、教えてくださいとお願いをし

貴重なリソースをかけて行ったからには、また、相手の方の貴重なリソースをいただいているからには

感覚を研ぎ澄まして、五感を使い、五感を脳に認識させるために自分を観察し言葉に変え、明確に情報をインプットさせ

そのインプットを自分に置き換えてどう使うのか、具体的なアクションプランに変えるまで、思考を深めるのが習慣になりました。

だから、どうにか今も継続できてるんじゃないかと思います。

(…逆にそれくらいやらないと、いくら環境を変えたところで、ぼんやりと過ごすから大して意味がないのが本当のところ。)

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firandoを立ち上げた構造分析を企業研修の中でお話させていただき、そのスライドをほぼすべて公開。


まずはその中の1つを、今日は書いていきます。


地方の価値は都市部へ発信した方がいい

ちょっとイメージしてみてください。

カフェにいるあなたの手元に、コーヒーがあります。マグになみなみで、しかも飲んでもいつのまにかまた、なみなみになります。

そこに店員さんが近づいてきて、コーヒーはいかが?と聞きます。

なんて答えるでしょうか。おそらく『いえ、結構です。』だと思うんです。だって、補充しなくたって、あるんだもの。笑

そこに対価を追加して払う必要もないわけです。


一旦このイメージは置いてください。

逆に、コーヒーが飲みたい、と思ってるのに、ない、というシーンがあったとします。

同じように、店員さんが近づいてきて、コーヒーはいかが?と聞きます。

あなたはおそらく『ぜひ。』って答えます。だって、欲しいものだから。そして、今手元にないから。

これが、シンプルにした、地方の魅力を都市部に伝えていく理由です。伝わりにくいかな。。。


逆の例を、さらに具体的に出しますね。

今年は多忙すぎて運営を離れていますが、主人が地元のボランティアチームの代表を、発起人として務め、私もその中のひとりとして、毎年イベントを主催しています。

今年はこちらからイベントをチェック


その中で、めちゃめちゃ売れたのがフランチャイズピザ店の販売車です。

行列が外会場にずらっと並び、家族連れでどなたも喜んでくださって、売れすぎてピザ生地足りなくなってました。笑

普段、ピザをお店で食べることが少ないんです。ごはんを作るのが面倒だから今日は宅配ピザを取ろうか、っていう文化がありません。そもそも宅配の圏外なので。笑

他にも例えば、スターバックスを特別に捉えちゃうのも、地方の方ではないかと思います。(最寄りのスタバ、車で往復3時間ですからね。笑)

これらの答えも簡単で【いつでもは手に入らない、ちょっと特別なもの】だから【むしろ喜んで購入する】ってことになるんですよね。


【ないから、欲しい=ちょっと特別なもの】
【欲しいものを提案してもらえれば、買いたい】


これって、どんな事業においても、共通するルールです。この原理原則にのっとって組み立てるのが、まずは先。


ただ問題なのは、この原理原則があるのに関わらず、地方では当たり前のこと過ぎて、今手元にあるものが求められるものであることに、気がついてない。

今持っている資本価値をまず認識できていない、ってことが、そもそもの落とし穴なんです。笑

(ちょっと品のない言い回しになりますが、当選の宝くじもってるのに、宝くじ持ってることから忘れてるようなもの。)


起業準備の中で、一任してるデザイナーさんとのmtの中で、今も基盤にしてる言葉があって

『平戸って、信じられないくらい鮮やかな七色の鳥なのに、その事に気がついてないですよね。』

そう言われたとき、確かに!!ってなったんです。

自分の美しさに気がついてない。むしろ、他が美しいと思ってる。だから、伝えることをしない。伝えるものがないと思ってる。でもそれは事実じゃない。主観による認識が、本来提案していくべき価値を、無にしてるわけです。

脚下照顧、と別の方に言われたのともシンクロしました。既に在る、という前提から始めて、深く潜り、伝えたいものを表現したらいいんですよね。


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では、また明日、続きを書きます^ ^



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