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フミサン:履物のこと

二週間前に設定したパスワードが思い出せないのだから、記憶力に自信があるなんて到底言えない。それでも、生まれてすぐから高校生までを過ごした家での出来事は、部分的に、でもある部分はとても色濃く覚えているようだ。パズルのピースはところどころかなり消失してしまっていて、全体像を復元することは永遠にできそうもないけれど、残っているピースには色や形といった目が覚えているものの他に、匂いや手触り、更には感情の結晶が詰まっていて、それを心の中のポケットに入れてときどき撫で回していると、あの時に一時戻ったような錯覚をする。それはたぶんほんの0.3秒くらいのトリップなのだけれど、遠くて果てしない旅だ。人が甘ったるい郷愁 ーノスタルジアとも呼ぶその旅を、私は否定しない。

フミさんは、夏以外はいつも着物を着ていて、夏場の本当に暑い何日かだけ、着物の生地で縫ったワンピースを着ていることがあった。といって、着物をいっぱい持っていたわけではなく、同じ着物がなんどもなんども日々繰り返されたので、そのいくつかの模様は季節の花を思い出すくらいの鮮やかさで思い出すことができる。昔、良いところにお勤めしていたというおばあさまがご近所に住んでいらして、その方が亡くなった時に何枚か着物を頂いたこともあったが、亡くなった人の着物を着るのは怖いと言って、結局一度も袖を通さなかった。

自分でも着物を着るようになり、ほとんど開けたこともなかった桐箪笥を開けた時に、懐かしい着物が何枚も出てきた。着物でいつも台所に立ったり、畑仕事をしたりしていたから、あちこちにしみが出て、とことん着古された着物は、倹約家で働き者だった持ち主の心根そのもののようで処分できずにいる。できることなら着てみたいけれど、どうしてみても裄も丈も足りない。帯ならと思って一度締めてみたことがある。着付けを手伝ってくれた人が、小さくて痩せた人だったのね、そういう人用に細くしてある帯だから、私のような背丈だとどうやってもバランスが取れないと苦労していた。

着物の柄や、襟元を緩くしてざっくりと着た姿、細く薄い簡単な帯を日常着にしていた事などは思い出せるのだけれど、足元のことをよく覚えていない。どう想像してみても、フミさんが靴を履いたとは思えない。もしかしたらソックスだって履いたことがなかったんじゃないだろうか。いつも足袋。たぶん、簡易のソックス風に作られたタビックス。下駄を履いてたことは間違いない。歯がかなり擦れたやつ。親戚の結婚式の時には草履を履いていた。でも、庭仕事をする時や、雪の日にカンジキ履いて外に出る時にはどうだったんだろう。モンペに長靴? たぶんそんな感じ。革靴は一度も履いたことがなかったけれど、長靴は持っていたのだと思う。ちょっとした庭仕事の時には履き古した草履か下駄だったのかもしれない。そしてたぶん、靴と草履の中間地点みたいな突っ掛け、が家に何足かあって、足袋を履いたまま突っ掛けて外に出たのかもしれない。

きっと小さな、よく働いた足をしていたのだろう。うつ伏せになったフミさんの足を、子供の頃よく踏んだ。子供の頃の私の足はもっともっと小さくて、体重も軽かったから、私の足踏みは丁度良い加減だったから。それはちっとも嫌なことじゃなかった。フミさんの足の上でバランスを上手く取って、テンテンと調子よく踏む。タビックスの足は少しざらざらしていて、裸足の時にはサロンパスが貼ってあったりした。ああ、気持ちいい、丁度いい加減だよ、という声が下から聞こえる。あの時、私は空を飛んでいたのかもしれない。足のサイズも体重も増えてしまった今、飛べるのはときどき、ほんの0.3秒くらいだけだ。

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