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或る春の日の日記

春の香りが目の前を通り過ぎた時、西池袋のマンションのベランダで1人缶ビールを飲んだ記憶が蘇った。今から約20年も前のことで、私が大学生だった頃のことだ。

学生の頃は新学期が好きだった。

たとえその前の年をダラダラと過ごして成績も恋愛もパッとしない一年を過ごしたとしても4月にはリセットされる気がしていた。

大学生で上京し最初に住んだのは池袋だった。ただ大学が近かったから選んだだけだった。静かで落ち着いていたし、窓を開けると大学附属の小学生のかん高い声が聞こえてくるところが気に入っていた。
休みの日になると、私はいつも自転車にのった。全身絵の具だらけになった、すいどーばた美術学院の生徒達を横目に通り過ぎ細い路地裏を抜けると目白の住宅街に辿り着く。繁華街ではない都会の住宅街をただ自転車で走るのが好きだった。それは自分の出身の地方にはない景色だったし、そういう場所に馴染む事こそが都会人になった証だと感じていたのだ。ぐるりと反対側を走って東長崎駅のスーパー、サミットに寄って食材を買ったり、あるいは椎名町の駅前の立ち食いうどんを食べたりすぐ近くのレンタルビデオショップで深夜2時に海外ドラマの続きが気になって借りに行くなどもした。

アルバイトは最寄りの駅でしない方がいい、と都内出身者が口々に言うので、新宿三丁目の雑居ビルの居酒屋で働くことにした。

そこでできた友人と週末には渋谷へクラブ通いをして青山のブティックで洋服を買った。残りのお金でお酒と本を買った。暇ができれば映画館に行って気がついたら年間100本ぐらいみるようになっていもた。


「大事なものは全て二十代前半の時期にあった。あの時の体験が強烈だったんだ。それ以降、あの時以上の経験はもうしていないのだと思っている」

『わたしは最悪。』の映画の中で死期の近いある人物がこのようなセリフを言っていた。
認めたくないが、確かにその通りのような気もしている。



大学卒業したあとは、都内の別の場所へ引っ越した。それ以来、私はなぜか一度も池袋の地に行っていない。いつかまた行くような事があったら、きっとまた私は自転車に乗ってあの住宅街に向かうのだろう。
でもそれはもっと、ずっと先のことになるような気がしている。

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