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教会に入ってくる海外情報の罠

 「シナイ山でノアの方舟と思われる巨大建造物が発見された!」
 「まだ公開されていないが、契約の箱がイスラエル某所で発見され、研究されている!」
 「板門店(北朝鮮と韓国の軍事境界線)付近で和解の祈りが捧げられ、政府関係者の動きが変わった。国境が開く日は近い!」

 それらの情報に私たちの教会は歓喜した。方舟発見は聖書の記述が正しいことを意味するし、祈りによって朝鮮半島が統一されれば「神の国」の実現に一歩近づく。さて、契約の箱には何が入っているのだろうか?

 海外の宣教師が定期的に出入りしていた私の教会では、そんな胸踊る海外情報が頻繁にもたらされた。
 「アジアの貧困地域で子どもたちに洋服を配ったら、持参した以上の服がトランクから出てきた」
 「ある村で悪霊に憑かれた女性が、年配の男性のような大声で叫んだ」
 しかしそれらの場所は決して特定されない。関与した人物の名前も語られない。あとから調べたくても調べられない。

 もう少し信憑性のあるものもある。
 「ある村で村人全員が救われて、教会が建てられようとしている。まさに神の国の到来だ」
 しかしその村が正確にどこなのか、何という名前なのかは曖昧なままだ。

 思い返してみると、そういう「奇跡」はアジアやアフリカの貧困地域の、場所を特定できない未開の地ばかりで起こるようだ。私たちのすぐ近くの、はっきり確認できる場所では起こらない。何故だろうか。ここにいる神様と、それらの地域にいる神様は本当に同じなのだろうか。

 主に聖霊派や福音派の話になると思うけれど、宣教師経由で入ってくる海外情報には注意すべきだ。手放しで礼賛してはいけない。日本ではソースを確認しにくかったり、実質できなかったりするし、その宣教師がどんなに「いい人」でも知っているのはごく一部のはずだからだ。上手く騙されている可能性すらある。

 特に国家を揺るがす規模のスキャンダルとか、国家間の「ヤバい」状況とか、そういう重大情報に一介の宣教師が簡単にアクセスできるわけがない。例えば国家の機密情報はごく一部の限定的な人間しかアクセスできない。なのに海外に出た途端それが容易になるのだろうか。この時代に一般人が容易にアクセスできるのは、機密情報でなく陰謀論だ。

 私も教会でそういう海外情報をたくさん聞いたし、危機感を持った。それらしく語られるし、それらしい資料もあるし、相手が信頼する「先生」だから信じてしまう。しかし一つも当たらなかった。どれも適当なホラ話だった。日本で大きなトラブルなく過ごしている人には実感できないかもしれないけれど、ホラ話をそれらしく語るクリスチャンは国内外問わず本当にいる(伝聞を鵜呑みにして語る人も含む)。時にはそれを証明する(ように見える)詳細なデータや映像まで用意されていることもある。

 宣教師が語る海外情報は、その内容より、その意図に注目した方が良いと思う。
 それは殊更に不安や恐怖を煽るものではないか。
 「自分たちしか知らない」という特権意識をくすぐるものではないか。
 特定の国を警戒させたり、嫌悪させたりするものではないか。
 逆に特定の国に好意を持たせるものではないか。

 ほとんど誰も知らない、しかし知ったら危機感を持たずにいられない、身近で密かに進行中の国家的一大事。そんな重大情報を一般人が知ることができるのは「奇跡」だ。末期癌が完治したり、水の上を歩いたりする「奇跡」が起こらないのを私たちは知っている。なら何故、情報に関する「奇跡」だけは容易に起こると信じてしまうのだろうか。

 クリスチャンに必要なのは敬虔さや信仰深さより、まず情報リテラシーだと私は思う。間違った情報を信じてしまうより、疑ってかかって嘘を見抜ける方がはるかに有益だからだ。

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