2022.3.11

いろんな想いを混同していた。

前も言ったかもしれないけど、実家の農家を継ごうと思っていた。

幼少期から祖父母や父に長男である僕に実家を継ぐようにプレッシャーをかけられていた。

それは地方だと当たり前にある話、でも、そんな時代でもない。

祖父も、父も、それまでと同じように家を継いだ。

俺もそうすると思っていた。

2011年3月11日

東北で地震がおき、津波が襲い、原子力発電所の事故が起きた。

僕は福島に住んでいて、放射性物質は後々、僕たちが住んでいる村にも降り注いだ。

とはいえ、避難区域にはならず、線量が高いだけの地域になった。

県外に避難する人、出荷制限になる農作物

これらがふるさとを傷つけられたと思い、より福島に愛着を抱くようになった。


でも実は、僕は海外で勝負したり、新しい世界をみてみたいと思っていた。

家を継がなければいけないという想い
傷つけられた福島を復興したいという想い

この事で11年間過ごしてきたと思う。

でも、海外で勝負したり、新しい世界を見たいと思っている自分もいたのである。

地元に戻りたい自分で新しい世界をみたい自分を隠していた。

自分がなんだかよくわからなくなっていた。

だけど、やっぱり外の世界で頑張る必要があることに気づいた。

地元のために外でちからをつけて、地元に還元する。

これこそが僕の最適解なんだと思う。

話が少しそれるけど
おかえりモネという朝ドラがやっていたけど、少し触発された。

気仙沼出身の主人公が最初は地元で頑張るけど、後々、東京に出て、10年近くたって、また、気仙沼にもどってくる話。

作中での、登場人物たちの震災への考えやキャリアの描きかたに共感できる部分が多く、すごく気持ちが入ってしまった。

地元で頑張る人、外で頑張る人、いずれもどる人、いろんな人がいて、自分で描きたい人生を過ごすのが最適解なんだろう。

僕もやりたいことをとことんやって、満足して、いろんなものを身につけて、お土産にして、福島に帰る。

11年かけて遠回りして見つけた僕のえがく未来だ。

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