なまずお

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  • 2017年3月19日、母が逝去。 浮かび上がる思い出は大切だけど、そのうち段々と忘れていくのではないかと思うと怖い。どんな人だったのか記録に残してみようかと。あるいは母へのメッセージ。

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「リスキーなものを進んで引き受け、それをなんとか乗り越えていくだけの力が、自分の中にもまだあったんだ」という個人的な喜びであり、安堵... #村上春樹_走ることについて語るときに僕の語ること

    • 与えられた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、それがランニングというものの本質だし、それはまた生きることの(そして僕にとってはまた書くことの)メタファーでもあるのだ。 #村上春樹_走ることについて語るときに僕の語ること

      • かれらは脱出しようとしても、剣がそれをゆるさなかった。剣がひとりで動いてはつぎつぎと敵をたおし、死地へ死地へとその持ちぬしを追いこんで行った。 (剣に生きる者は、ついには剣で死ぬ) 歳三はふと、そう思った。 #司馬遼太郎_燃えよ剣(下)

        • 時代が、沸騰しきっているのである。 #司馬遼太郎_燃えよ剣

        「リスキーなものを進んで引き受け、それをなんとか乗り越えていくだけの力が、自分の中にもまだあったんだ」という個人的な喜びであり、安堵... #村上春樹_走ることについて語るときに僕の語ること

        • 与えられた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、それがランニングというものの本質だし、それはまた生きることの(そして僕にとってはまた書くことの)メタファーでもあるのだ。 #村上春樹_走ることについて語るときに僕の語ること

        • かれらは脱出しようとしても、剣がそれをゆるさなかった。剣がひとりで動いてはつぎつぎと敵をたおし、死地へ死地へとその持ちぬしを追いこんで行った。 (剣に生きる者は、ついには剣で死ぬ) 歳三はふと、そう思った。 #司馬遼太郎_燃えよ剣(下)

        • 時代が、沸騰しきっているのである。 #司馬遼太郎_燃えよ剣

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          201901の数字

          月末日時点の数字 観た映画本数 ― 8本 ― うち映画館1本 読み終えた本の数 ー 1冊 走った距離、回数 ー 119.3キロ ー 8回 貯めた楽天ポイント ー 2114ポイント 体重・体脂肪率 ー 65.4kg ー 19%

          201901の数字

          FP2級を受験

          20190127日 FP2級の試験を受けてきた。 昨年11月にテキスト購入したものの、今回もやる気でず何度も中断。 試験日数字前にようやく読み終えた。 さすがに厳しいと思って挑んだが、できないながらも本番の感触は悪くなかった。 次回受験のための自信(やればできるかも)とモチベーションになればと思う。 結果はダメだと思うが、もしかしたら学科だけギリギリ通過してるかも。 次回学科免除なればまた勉強するかも。

          FP2級を受験

          井上馨や伊藤博文を含む五人の留学生たちは、当初の行き違いのため(海軍 navy の勉強をしたいというべきところを、航海術 navigation を習いたいといってしまった)、喜望峰回りの航路で下級船員としてこき使われることになった。 #木畑洋一_帝国航路を往く 53頁

          井上馨や伊藤博文を含む五人の留学生たちは、当初の行き違いのため(海軍 navy の勉強をしたいというべきところを、航海術 navigation を習いたいといってしまった)、喜望峰回りの航路で下級船員としてこき使われることになった。 #木畑洋一_帝国航路を往く 53頁

          そして多くの人々か抱いた疑問は、古代文明を誇った地が、なぜ衰微し、他に従属する位置に甘んじているのかということであった。その疑問は、1880年代初めにエジプトの力を取り戻そうとして挫折したオラービーへの関心につながった。 #木畑洋一_帝国航路を往く 47頁

          そして多くの人々か抱いた疑問は、古代文明を誇った地が、なぜ衰微し、他に従属する位置に甘んじているのかということであった。その疑問は、1880年代初めにエジプトの力を取り戻そうとして挫折したオラービーへの関心につながった。 #木畑洋一_帝国航路を往く 47頁

          マニラ 2014年12月

          マニラ 2014年12月

          12月8日(レノン忌)

          十字架の地より帰りぬ レノンの忌

          12月8日(レノン忌)

          キングスクロス駅(1998年、ロンドン)

            極寒-。2月、深夜のロンドンは物凄い寒さだった。  最終列車が出た後の無人の駅で、僕は床に新聞紙を広げその上で膝を抱えて座っていた。日本の駅とは違い欧州の駅の多くは駅舎に入れば改札がなくそのまま列車が停まるホームだ。冷たい風が容赦なく体に吹き付ける。正面に当たる風を避けようと座っている場所を変えたり、座る体勢を変えてみたりするが全然意味がない。ガチガチと震える体を抑えようと必死だった。  何を勘違いしたのか、僕はエジンバラに向かう夜行列車がこの駅から出るものと思いこん

          キングスクロス駅(1998年、ロンドン)

          トラブルなトラベル

           19世紀ヴィクトリア朝のイギリス人女性にとって海外の植民地帝国がいかなる存在であったかをまとめた井野瀬久美惠氏の著作の中で、世界の各地を旅した「レディ・トラベラー」について述べた章に次のような一節がある。  彼女たちの旅は、周遊[一巡して戻ってくる]を意味するツアー(tour)ではなく、トラブル(travail)と語源を同じくするトラベル(travel)、つまりさまざまな苦労がともなわねばならなかったのである。  井野瀬

          トラブルなトラベル

          【note】に登録。初めて利用する。 何をやっていこうか、まだ決まってないけど。 [テキスト]として、今までの俳句かあるいは旅の話とも思ったけど、 ウォークコースの提案なんてのもいいぢゃないかと思ったり??

          【note】に登録。初めて利用する。 何をやっていこうか、まだ決まってないけど。 [テキスト]として、今までの俳句かあるいは旅の話とも思ったけど、 ウォークコースの提案なんてのもいいぢゃないかと思ったり??