キングスクロス駅(1998年、ロンドン)

  極寒-。2月、深夜のロンドンは物凄い寒さだった。

 最終列車が出た後の無人の駅で、僕は床に新聞紙を広げその上で膝を抱えて座っていた。日本の駅とは違い欧州の駅の多くは駅舎に入れば改札がなくそのまま列車が停まるホームだ。冷たい風が容赦なく体に吹き付ける。正面に当たる風を避けようと座っている場所を変えたり、座る体勢を変えてみたりするが全然意味がない。ガチガチと震える体を抑えようと必死だった。

 何を勘違いしたのか、僕はエジンバラに向かう夜行列車がこの駅から出るものと思いこんでいた。しかも自分が持っているブリットレイルパスがそのまま使えるものと信じ切っていた。

 この夜ぶらりとキングスクロス駅にやってきて時刻表を確認するとすでにこの駅からの長距離列車の最終便は出たあとで、しかも駅員に聞けばスコットランド方面への夜行列車はここではなくユーストン駅からだという。そこまでは歩ける距離であったしまだ間に合う時間だったかもしれないが、僕がもつパスもそのままでは使えず追加金が必要だという。その額を聞いて僕はその夜行列車に乗るのを諦めた。すでに窓口を閉めていた駅員は、こんな時間にやってきてあれこれ聞いてくる僕にかなり不機嫌そうだった。この時点で旅を進める手段を無くした僕は途方にくれた。道路を挟んだ向こうにはB&B(Bed&Breakfast)の優しげなネオンサインが見えたが残念ながらお金がなかった。暖かいシャワーを浴びてベッドにもぐり込むのを想像すると夢のような光景だったが、そんなお金があれば時間の節約にもなる夜行列車のほうを選ぶ。

 とにかく貧しい旅をしていた。10日ほどアイルランドに滞在した後、これからスコットランドを1週間まわる始まりだというのに、この時点であまりに手持ちが寂しかった。物価の高いロンドンを早く出たいと思うのもそうした理由だった。結局僕はキングスクロス駅で一晩明かしこの駅から出るエジンバラ往きの始発を待つことを決めたが、屋根があるだけでほとんど屋外のようなところで寝るのは難しかった。相変わらず身体の震えが止まらない。分厚く暖かそうなコートを着た夜勤の駅員が時々見回りにやってきたが、みすぼらしい恰好をした怪しげな東洋人をまるで汚いものでも見るような目つきで横目で見ていった。いや旅の途中の僕は実際に汚かったのだと思う。

 コート姿の駅員が定期的にやってくるたびにこちらに向けてくるその視線に我慢できなくなり、とうとう僕は外に出ることにした。せっかく確保した公衆電話下の奥まったスペース、-そこはなんとか風を遮ってくれる!-、をホームレスなどに横取りされてはいけないと、新聞を敷いてバックパックをそこに残していった。

 キングスクロス駅のすぐ隣にはセントパングラス駅が建っている。ヴィクトリア朝のネオゴシック様式の外観がライトアップされていてその荘厳さに目を引かれた。辺りのお店がすべて閉店している時間だからか、控えめな照明でも十分美しかった。屋外はさらに寒いはずだが、古風な建築を眺めている暫くの間は風の冷たさを忘れることができた。