行動を起こさないことに全力を出していたらヒモになっていた話
note第3稿目です!
何をやっても長続きしないヒモが三日坊主を乗り越えた快挙に達成感を禁じ得ませんが、ここまでを読み返し、自己紹介が満足でないと感じました。
そこで今日は『自己紹介は最初の1回でなくても良いだろう』と開き直った上で、ヒモ生活をしているとよく尋ねられる、
『なんでヒモになったの?』
に対し自分なりに回答を考え、ヒモに至るマインドの一端を書いてみようと思います。
今、僕は2年ほど前より育った関東(千葉・東京)を離れ、沖縄でヒモ生活をしているのですが、まずこの物理的な移動そのものがヒモをヒモたらしめる発想/行動の顕れのようにも思えます。
それは、僕が”ヒモ”とは嫌なこと(東京≒会社勤め≒イヤ)から逃げ続けているひとつの”状態”であると捉えているからです。
そういう点で言えば、ヒモのマインドは引きこもりにも通づるモノがあると思います。「社会人男性としてのこうあるべき」像への拒否反応が内向きに”篭る”として現れるのではなく、女の子の家に”出ずっぱる”ので僕はヒモとなっている訳です。ともかく僕は、
これまで嫌なことからは即、逃げる選択肢をとってきました。
振り返れば、小・中・高・大(もっと言えば幼稚園や公文式、剣道などの習い事も)
サボらなかった時代がありません。
高校3年生のときなど朝のホームルームから帰りのホームルームまでいた日数は6日でしたし、大学も卒業までに7年を要しました。
(なんか、文字面だけだと陰惨な学生生活を送っていたように見えますが、誤解のないように言っておくと、学生生活も今も僕は毎日楽しいです)
具体的には、”同じ所”に”同じ時間”に行くことに尋常じゃないほどの抵抗を感じるんです。会社にうまく入れていたとしても2日で辞めていたのではないでしょうか。そんな生活をしていれば、普通は『このままではマズい』と、どこかで思い立つと思うんですよね。僕も『このままではマズい』と思うタイミングがやってくるモノだと考えていました。
おそらく、ここがヒモとしての自分を受け入れることが出来るかどうかのポイントだと思うのですが、僕は部活で汗を流しているクラスメイトや就活生に囲まれながらも、ボンヤリし続けることだけは筋金入りでしたし、やるべきことから目を背けることに抵抗が全くなかったのです。
『イヤなこと辞めちゃって、好なことだけで生きていける!』などと、無責任なことは言えませんし、不得意なことを克服する中で成長していく人は僕の目には眩しく映っています。
しかし『このままではマズい』と思わなかった僕は、自分の得意とする能力だけを必要とされる人に使うことで居場所を創り出すことの方が性にあっていたらしく……
気がつけば、ヒモ生活に漂流していました。
宿代として家事をやり、あとはゲームをしています。
家事は苦に思いませんし、ありがたいこことにプレイしたゲームの記事を書くことでお小遣い程度の原稿料を稼ぐことが出来ているので、バカみたいにラッキーな環境にいます。
『そんなことが出来るのは若いうちだけ……』と思われるかもしれませんが、もとより予定は2日後までくらいしか見えていないヒモですので、なんとか今年も楽しく終えれたらな、くらいの感覚でおりますよ。
さて、自己紹介と言いつつ自己肯定を書いてしまいました。
バランスを取るために次のnoteでは「日刊SPA!」での記事を引用しつつ、ヒモのリーサルウェポン「ハーゲンダッツ」について書こうかなと思います。おわり。
飼い主の彼女の一言
本人曰く、4才の頃に公文式の帰り道で「俺は会社勤めに向いていない」と天啓が降ってきたそうで、毎回その閃きをさも自分が天才少年であったかのように話してきます。
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