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将来の夢は「コアラを見に行く」ではダメらしい

今、『逃げに逃げてヒモ生活に行き着いた話』を書いているのですが……(おそらく)原稿量を鑑みた時に、大きくカットされてしまうであろう……「幼少期の習い事から逃げまくっていた」時のエピソードの下書きをnoteに貼り、成仏させます。

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2歳から学習塾に通わされていたり、腹がパンパンになるまで牛乳を飲むことを課せられたり、『子どもは風の子』の教えのもと、寒空の下で乾布摩擦をさせられたり……。

僕は幼い頃より、精神的な面のみならず、肉体的な無理から毎日の行動に疑問を感じる機会が少なくありませんでした。

すなわち、幼年期が過ぎた頃につくとされている「物心」のなかに「立ち向かうのか、逃げるのか」の判断は標準装備されていたようにも思えます。教育の圧が凄まじかったからこそ「スレる」のも早かったんです。

人生で初めて「逃げる」選択肢をとったのは、以前にも書きましたが、幼稚園の頃だったと思います。

幼稚園はバスが迎えに来るため、登園を避けることは出来ませんでしたが、たとえば「お遊戯」に参加した記憶はありません。

「一挙手一投足、指示通りに動かなくてはいけない」こと、ソレを疑問なく受け入れる周りに異様な不気味さを覚えていた僕は、『まだまだ園児だから仕方がない』言い訳がきく確信のもとに裏山に逃げ隠れ、お遊戯が進められていく教室を覗き見て過ごしていました。

卒園式こそ「坊主」のズラを被させられ、園児3人くらいで何かパフォーマンスをした記憶があるのですが、そのことは僕にとって「辱め」以外の何者でもありませんでしたし、それをキャッキャ観る保護者の配慮のなさに憤慨していました。

卒園式が終わったあと、「そっちがその気ならこっちだって子どもの特権を使わせてもらう」とばかりに、『子どもって理由で処理されるから大丈夫』と、職員室の机に置いてあった「おはぎ」を友達と食べる報復をしたことを覚えています。


そんなヒネた僕の幼稚園生活のなかで、僕が1番疑問に感じたことは「将来の夢を絵にして描く」プログラムです。

『将来の夢を自由に描いて良い』とは言うものの……、女の子は「お花屋さん」「ケーキ屋さん」「お嫁さん」など、普遍的な回答のなかから選んで「将来の夢」を描くことが一般的だったように思いますが、当時の男の子は「サッカー選手」一択でした。

僕が幼稚園の頃は「Jリーグ」が誕生したばかり(1993年)ということもあり、空前のサッカーブームにありました。
TVのCMには『ラモス瑠偉』元選手が起用され、お菓子のオマケにも「Jリーグ」グッズが沢山起用されていたのです。

伴って、園児の自由時間も「自由」とは名ばかり、そのほとんどは「サッカーをする時間」だったのです。

そのようなサッカーブームの渦中ですから、男の子たちはみんな、何の迷いもなく「サッカー選手」の絵を描いていたのですが、僕はその頃、自他ともに認める肥満児でスポーツと言うスポーツが大の苦手でした。

(少し話はズレますが、サッカーの時間、ボーッと突っ立っていた僕に「ポーン」とボールが当たったことに対し、先生が『ナイスパス』と言い放ったことがあります。この時の屈辱と言ったらありません。先生からすれば、「その場にいる全員を褒める」タイミングを伺っていただけなのでしょうが、そもそもボールに近づかない僕にたまたまボールが当たったことは『ナイスパス』でないことは明白です。『みんなサッカーは好きだし、このタイミングで褒めとこう』と、言った、先生としての事情が垣間見えたこと、いっぺん通りで雑に処理されたことに対して、子どもながら嫌な気分になりました。)


……ともあれ、肥満児の僕はサッカーが嫌いだったんです。
が、将来の夢のイラストには僕も「サッカー選手」を描いてしまいました。

そもそも、当時の僕は漠然と『コアラを見に行きたい』くらいしか将来に夢を持っていませんでしたし、なぜ「将来の夢=何かしらの職業」なのかも意味が分かりませんでした。

しかし、将来の夢に『オーストラリアに行きたい』と描いたら、何か面倒な質問が飛んできそうな気がしたので、周りに合わせることでお茶を濁しました。(このことも「波風を立てたくない」ひとつの「逃げ」ともとれそうです。)


また、たくさんの習い事をさせられていたことは、それだけ親から期待をかけられていた証なのかもしれませんが、僕にとってみれば習い事の数だけ「続ける・逃げる」の判断を繰り返していたことにも繋がります。

毎週長時間の活動が義務付けられている「ボーイスカウト」に入団させられそうになれば『この服を着たくない』と跳ね返し、英語教室に通わされれば『あそこにはお化けが出るから行きたくない』など……ありとあらゆる方向から、イヤな習い事に抵抗をしてきました。

中学受験のための学習塾なんて「月・水・金・土」もあるんです。


『突き指したから鉛筆が持てない』嘘は指の組み合わせ分使いましたし、お弁当代として持たされたお金で漫画を買い、そのお釣りを用いて「マクドナルド」で時間を潰していたところを祖母に見つかり、『今日はそう言う授業』と、言い張って怒られたこともあります。

なかでも「逃げに逃げた」のは「剣道」です。

毎週日曜早朝6時に道場に行き、2時間の座禅した後1時間の道場の掃除、昼まで稽古……。

「子どもの精神を鍛える」ことに重きをおいた剣道場は、月会費も安く、真心から子どもの成長を望む先生たちが運営しておりましたが、僕にとってみれば営利団体よりも心が篭っている分、シンドいのです。耐えられるはずがありません。

取り立てて、言い訳をこさえる訳でもなく、『キツい!無理!辞める!』と、伝えたところ母からは『辞めたいなら自分の口で辞めることを伝えなさい、それが武士道。』との返答。


全く話が通じていません。僕はあの道場に一切近づきたくないのです。

苦肉の策で、僕は辞める旨を手紙に書き、道場の戸口に挟むことにしました。生半可な言葉では『たるんでる!』と連れ戻されてしまうかもしれないため、『全くやる気がありません!続ける気力がまるでなくてごめんなさい!』と、強気の「逃げ」メッセージを記したことを覚えています。

『どうか僕を見捨てて欲しい!』願いは先生の心を挫いたらしく、電話がかかってくることもなく、見放されることに成功しました。

『そんな逃げてばっかじゃロクな大人になれない、なかにはあなたよりも歳下で頑張っている子もいるのに……』

なんて母親に嫌味も言われましたし(事実ロクな大人に育っていませんが)、「水泳」や「お絵かき教室」など好きな習い事を一切やめようとは思いませんでしたし、当時の僕はイヤなことを続けるよりも、友達と遊ぶことの方がよっぽど重要でした。

それに「ロクな大人」とは何なのか、「将来の夢が職業である意味」は今も分かっていません。行きたい国が「オーストラリア」だけでなく、「カナダ」「メキシコ」「エジプト」「アメリカ」「ミャンマー」「トルコ」……と、広がっただけのように思います。

飼い主彼女からの一言

「親の心子しらず」、とは言いますが、ここまで親の思いに応えてないとウケてきますね。実際はもっと、いろいろな習い事をさせられていたらしいです。

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