ユタカサという魔物
ゆたかな暮らし、といわれると首を傾げてしまう私は、「ゆたかさ」という言葉とは遠いところで暮らしたいと思う。
ゆたかであることは、つまり個人にとって好ましいことである。という価値観とは距離をおいておきたいのだ。ゆたかになろう、ゆたかな人生を送ろう、といわれればいわれるほど。
といって、まずしくありたいわけでもない。
さて、いま私のまわりでいわれるゆたかさというのは、ひとの気持ちに即した結構プライベートな情緒なのかなと感じるけれど、金銭的なゆたかさや物質的なゆたかさを強烈に追い求めていた社会を通り過ぎた反動なのかしらとも考えている。でも、有り余る富を得られるというなら、私はよろこんで頂戴したい。
金銭的なゆたかさもいい。物質的なゆたかさもいい。人間関係がゆたかでもいいし、ゆたかな自然があなたにゆたかさをもたらしてくれるかもしれないし、思索に耽って自己を探究するのもいいかもしれない。
ただ、ゆたかさをあまりにも追求しようとすると、見えなくなってしまうものも多いようだから、ゆたかであろうとしない私でいたい。
思うに、世界に生まれて間もない子どもたちというのは、好ましさなど飛び越えて、いまの私には想像できないほど鮮烈にいろいろなものを見て聴いて感じているから、あんなにも不可解で眩しい。ゆたかさを求めない彼らが、もっともゆたかなんじゃないだろうかと思ってしまう。
だから、私の暮らしの何がゆたかであるか、振り返ることはしない。
なんてことのない日々を繰り返したい。
今日、いっしょに食べるごはんを考える。
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