ステイホーム

はじめて聞いたときに、犬のシツケで「ステイ!」といっているのを思い出すフレーズだなあと思ったことをここに告白いたします。

それはともかく、私はもうステイホームの過剰摂取である。ステイホーム活動およびステイホーム啓蒙運動の妥当性うんぬんはさておき、ステイホームという言葉が目に耳に入った瞬間「ああまただなウルサイな」と感じるのはもはや精神的「ステイホーム」アレルギーの域に達しているといえる。

たとえば子どもの頃の記憶、配偶者からのコゴトなど、正論だろうがなんだろうがしつこくいわれて嫌んなるのは普通よくある心理と思うのですが、ステイホームすべきといわれるこういう事態だと人の心は容易く自己統制できるものですか。それはスゴイ。私はダメみたい。

万歳、万歳、ステイホーム万歳。ホームステイではない。ステイホームなのである。乗り越えよう。今は我慢だ。乗り越えよう。明るい未来が待っている。ステイホーム。ステイホーム!

こんなにステイホームしているのに、ホームにステイしていること自体は苦でないのに、ステイホームの押し売りにうんざりする。オトナがコドモをあやすようなステイホームコールを、世間が世間にしているみたい。今日も昨日も一昨日も。きっと明日も。

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