推理する国語(前編
学校の国語という科目の現代文読解、あれはほとんど推理の問題だと私は思っていて、つまり、学校での国語教育はおおむね「無意識で推理を行う」ための訓練だという話なのだけど、
女の子が泣いている。
と読んで、女の子はなぜ泣いているのかを問われれば、おおかたの人は「何か彼女にとってつらいことがあった」からではないだろうかと考える。
道端で知らない女の子が泣いていたら、きっと同じように考えるのではないだろうか。
本当は花粉症で泣いているのかもしれないが、その可能性を無意識で推理するためにはせめて
今日はひどく花粉が飛んでいて、私は鼻がつらい。
女の子が泣いている。
くらいの情報がないといけない。
ここでは、事象A(花粉が飛んでいる)と事象B(女の子が泣いている)を合わせると結論C(花粉症で泣いてる?)が妥当かもしれないと脳内で瞬間的に推理が行われていることになる。
もちろん、新しい事象が描かれれば、推理の結果も変わるかもしれない。これを繰り返し繰り返し行い訓練する。
与えられた材料から一般論としてどういう結論が導き出されるかを考える私たちは、いっそ探偵のようである。ゲーム的な要素もある気がする。そう考えると、読解力のテストなんて案外単純なもののような気もする。
友だちのお腹が鳴ったら、お腹が減ってるんだろうかと思う。そんな程度のことだって、立派な推理である。
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