【To LuckyFes2023④】オレンジスパイニクラブを知って欲しい

茨城県ひたちなか市にある国営ひたち海浜公園にて開催される「LuckyFes2023」に関する連載の第4弾です。筆者が個人的にLuckyFes2023を通して知って欲しい、見て欲しいと思っているアーティスト「オレンジスパイニクラブ」についての記事をお届けします。

※第1弾【To LuckyFes2023①】LuckyFesの特異性と、地方ラジオ局が作る「フェス」 はこちらからどうぞ!
※第2弾【To LuckyFes2023②】LuckyFesに目指して欲しい「フェス」の姿、知られて欲しい「ひたちなか」の魅力 はこちらからどうぞ!
※第3弾【To LuckyFes2023③】フェス飯とスタグルに大切なことを教えてもらった はこちらからどうぞ!

今回の記事は音楽批評ユニット「SOME OF THEM(サムオブゼム)」さんのオレンジスパイニクラブの記事にインスパイアされて作成しました。


SOME OF THEM(サムオブゼム)さんのオレンジスパイニクラブの記事にある、彼らから感じるいい意味での「軽音楽部感」。その源泉はどこにあるのか。

個人的には、オレンジスパイニクラブの「軽音楽部感」の源泉は、彼らが「茨城県北茨城市」「福島県いわき市」で思春期を過ごしていることだと思っています(現在の彼らの年齢は20代後半)。

メンバーのインタビュー等にそのことに触れた記事ががないので、筆者の想像でしかないのですが、その土地の/当時の空気感を/その年代で体感しているということは、個人のパーソナリティーに何かしらの影響を与えると考えております。気になる方は調べてみてください。

さて、今回、オレンジスパイニクラブの「軽音楽部感」の源泉を感じるべく、福島県いわき市と茨城県北茨城市を歩いてみました!


「変わらないでいて欲しい」


「ハルによろしく」のMVは、彼らが育った北茨城市と、バンド結成以来活動の拠点となったいわき市のライブハウス「club SONIC iwaki」で撮影されています。

https://billboard-japan.com/special/detail/3011

――学生時代は何をされていたんですか?

ゆっきー:俺とナオトは小・中学校が一緒で、中学2年生くらいから一緒に音楽をやっているんですけど、高校時代は普通に過ごしてました。

スズキユウスケ:俺は途中で高校を辞めちゃって、やることがなかったんですけど、ナオトたちに誘われてバンドに入りました。

ゆっきー:ゆりとだけ、家が遠くて……なんとなく充実してたな。

ゆりと:僕はバイトして、恋愛して、わりと青春してました(笑)。中学3年生とか高校1年のときにみんなと出会ったんですけど、福島県に住んでたので、バスで3時間くらいの距離があったんです。

“ライブを見てほしい”--「キンモクセイ」で注目のオレンジスパイニクラブのロングインタビュー | Special | Billboard JAPAN (billboard-japan.com)より引用

――みなさんの音楽に影響を与えたアーティストさんはどなたですか?

スズキナオト:一番好きで影響されたバンドはThe ピーズです。

ゆっきー:あと、BUMPとか。オレンジスパイニクラブになる前に、KiNGONSっていうパンクバンドに全員がめっちゃ影響されて、それからパンクをやるようになりました。

――パンクとなると、“鳴らしたい”願望があったんでしょうか?

スズキナオト:最初はそうでしたね。

ゆりと:(音が)デカければ勝ち、テンポも早いもの勝ち、みたいな。

スズキユウスケ:今もちょっとパンクに憧れはあります。

スズキナオト:ホントは革ジャン着て、ピッチピチのズボン履いてやりたいよね(笑)。

“ライブを見てほしい”--「キンモクセイ」で注目のオレンジスパイニクラブのロングインタビュー | Special | Billboard JAPAN (billboard-japan.com)より引用

スズキナオト(G, Cho) バンドの結成当初から出演していたclubSONICiwakiというライブハウスがあるんですけど、そこの店長さんに「10年は続けてみろ。10年続ければ、変わってくるぞ」と言われていて。結成10年が経って、確かに周りの環境も変わってきているので、続けることができてよかったと思います。

オレンジスパイニクラブ「タイムトラベルメロン」インタビュー|あっという間、紆余曲折のバンド活動の中で見えてきたもの - 音楽ナタリー 特集・インタビュー (natalie.mu)より引用

交通網が充実しているとは決して言えない地域でThe ピーズに憧れバンド活動をし、その様子をclub SONIC iwakiの店長さんに温かく見守られている…

何となくこのあたりに彼らの「軽音楽部感」の源泉があるような気がしています。club SONIC iwakiの店長さんは軽音楽部顧問といった立ち位置なのかなと。

いわき市を少しだけ歩いてみましたが、club SONIC iwakiは、おそらく街が変わることもあった中で、いわきに「存在し続けているもの」。

club SONIC iwaki外観
JRいわき駅外観。
いわき市は「いわきFC」のホームタウン。
マスコットは「浜通り」から「ハーマー&ドリー」。

いわき市から北茨城市へ移動し、街を散策。メンバーが見ていたかもしれない風景や、「ハルによろしく」のMV撮影場所の写真を撮ってきました。

「ハルによろしく」MVでメンバーが自転車に乗ってるシーンに出てくる道路。
「ハルによろしく」MVに出てくる道路。
「ハルによろしく」MVの中でメンバーが食べているかもしれないチキン。
とても美味しかった!
茨城県北茨城市と言えば「海」。
海と山に囲まれた、川の流れも美しい北茨城市。

北茨城市といわき市は、「変わらないもの」の尊さを感じることのできる街でした。

オレンジスパイニクラブは「変わらない」のか


オレンジスパイニクラブは「変わらない」のか、というと、決してそんなことはないと思っています。

──そもそもバンドを始めた頃に、皆さんの中に野心や目標などはありましたか?

ゆっきー 具体的な目標はそんなになかったです。メジャーデビューしたいとか、「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」に出たいとか、漠然としたものはありましたけど、具体的に「こうなりたい」というのはなくて。

ユウスケ 今は勢いを落とさずに、大きなフェスとかに毎年出れるようなバンドになりたいと思っています。落ちないように、徐々にまっすぐ進んで行って、そのまま死んでいく人生がいいですね(笑)。

──なるほど(笑)。裏を返せば、「この感じが続けばいい」と思えるくらい、バンドをやって生きている今が幸福だということですよね。

ユウスケ もちろんです。新曲を出したときの反応も楽しみだし、ライブでお客さんが楽しんでくれている姿を見ていると、特に思いますね。結成した頃は、お客さんの反応もあまりなかったし、改名前は特にフロアがスッカラカンの状態でライブをやっていたんですよ。でも、最近はツアーにもお客さんが入ってくれるようになって、「バンドやってきてよかったな」と思います。やっぱり「キンモクセイ」が注目されるようになってメンバーのモチベーションも絶対に変わったと思うんですよね。「マジでやらなきゃいけない」って、音楽としっかりと向き合うようになったと思う。

オレンジスパイニクラブ「タイムトラベルメロン」インタビュー|あっという間、紆余曲折のバンド活動の中で見えてきたもの - 音楽ナタリー 特集・インタビュー (natalie.mu)より引用

──この記事を読む人の中には、ライブハウスに行くという行為自体にハードルの高さ感じている人もいると思うんです。そういう人たちに向けてオレンジスパイニクラブのライブではどんなことが起こっているのかをプレゼンする場合、皆さんはどう語りかけますか?

ユウスケ そうですね……やっぱりライブハウスなので、音はデカいじゃないですか。僕らはロックバンドなので音を小さくすることはできないんですけど、怖くはないと思います。優しいバンドなので、怯えずに、いい歌を聴きに来てもらえたらと思います。

──優しいバンド?

ユウスケ はい。優しくて、楽しいバンドです(笑)。お客さんも優しい人ばっかりだし。ときには怒りも剥き出しにしたいですけどね。バンドも生き物なので。でも、怒りも優しさも同居しているバンドだと思う。

ナオト さっきのBGMの話に近いですけど、僕らはワンマンではライブ中に「オレスパのちょこラジライブ」というコーナーをやっていて。そこでお悩み相談とかもしているんですよ。ほかのバンドに比べるとゆるいというか、ライブは幸せ空間だと思います。ハードルが低いというか(笑)。

ユウスケ まあ、初心者向けだよね(笑)。

ゆっきー そのへんはいい意味でバンドっぽくないよね。

オレンジスパイニクラブ「タイムトラベルメロン」インタビュー|あっという間、紆余曲折のバンド活動の中で見えてきたもの - 音楽ナタリー 特集・インタビュー (natalie.mu)より引用

音楽自体やライブのお客さんやリスナーに向き合う姿勢が、バンドとしての過度な演奏技術の向上ではなく、自分たちのよさを「どのように伝えていくか」に意識が向いていると感じます。バンドとしての勢いを維持するという努力もされています。

そんなオレンジスパイニクラブは「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2023」にも「LuckyFes2023」にも出演が決定しています。

また、音楽的にも「ハルによろしく」では、バンドとしては初のプロデューサーにトオミヨウを迎えています。

筆者の一番お気に入り楽曲の「パピコ」は、ストリーミング時代のバンドらしい幅広い音楽から刺激を得たことによるドラマチックな楽曲展開と渋いコード感が魅力の楽曲になっていると感じています。

そんな「パピコ」はスズキナオトさんの力作となっています。

「変わらない」ものを大切にしながら、ちゃんと「変わっている」。そんなところがオレンジスパイニクラブの魅力なのではないかと個人的には思っています。

開演時刻を迎えてまず始まったのは、本ツアーで恒例となっていたラジオコーナー「オレスパのちょこラジライブ」。

(中略)

続いての質問は「ユウスケさんとナオトさんは音楽理論を理解したうえで曲を作っていますか? オレスパの曲はコードが単純でないものが多いので気になりました」というもの。ナオトが「僕たち音楽理論まったくわかんないです。感覚です」と返し、ユウスケが「天才なんです。天才兄弟。和製Oasisです。北茨城のOasis」と口を挟むと、メンバーから「くそダセぇよそれ」というツッコミが入った。

オレンジスパイニクラブは”北茨城のOasis”、長年連れ添った4人のグルーヴで全国ツアー完走 - 音楽ナタリー (natalie.mu)

実際の兄弟である2人が在籍するバンドであるオレンジスパイニクラブ。筆者もOasis大好きなので、このくだりは最高です。また、音楽理論について詳しく学習したわけではなく、あくまでも感覚で「パピコ」のサビのようなあのコード感が出せるセンスも最高です。(WBC時の岡本和真選手くらい「最高です。」しか言えなくなる)

ひたちなか市や水戸市でも活動していたバンドが、この夏「国営ひたち海浜公園」に凱旋!


オレンジスパイニクラブは、改名前に「The ドーテーズ」というバンド名で活動していました。その時に、よくひたちなか市でライブやイベントに出演していたという話をひたちなか市の方に聞きました。

また、レコ発イベントを水戸でも行っていたようです。

そんな茨城県央地域ともなじみの深いオレンジスパイニクラブが、この夏、ひたちなか市に、「国営ひたち海浜公園」に凱旋します!

オレンジスパイニクラブの感情表現豊かなライブを、是非LuckyFes2023で味わって欲しい、大前提としてオレンジスパイニクラブを知って欲しいと思い、今回はこのような記事にしてみました。

オレンジスパイニクラブはLuckyFes2023、7/16(日)HILLS STAGEにて17:40から出演します!


今回の記事は以上になります。

<今後の内容予定>

・筆者のオススメアーティスト
・出演アーティスト楽曲に関するコラム

に関して、あと1、2つ記事が書ければ…と思っています。

フェス開催までのあと数日、無事に記事が更新できた時は読んでいただけると嬉しいです!


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