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ゲストハウス開業に向けて(心の準備編


私は今でも忘れられない旅の思い出があります。ブラジルで出会った皆さんに親切にして頂いたお話。画像はブラジルバイーア州サルバドールの海岸にて。リオデジャネイロのホテルでの経験を綴りたいのですが写真を取ったはずなのに残念ながら見つかりませんでした。

世界的なお祭、リオデジャネイロのカーニバル。チケット入手は至難の業、そして高額。

大昔のことですが、私達はカーニバルのチケットは取れないまま日本を離れ半ばカーニバルの観覧は諦めてブラジル入りしました。リオに到着してから現地コーディネーターさんに何とか手配してもらったチケットは高額でしたが何とか手が届く金額。海外からの観光客達が安心して観覧できる席は完売で、私達が確保できたチケットは比較的現地の方々がいるグレードは決して高くないエリアのものでした。でもその分熱狂的な観客が多く、結果的に楽しい席でした。

チケットは手に入ったのでやれやれということでそれ以外の準備は特にせずリオデジャネイロ観光しながらその日を迎えました。

期間中のべ200万人以上の観客動員を誇るカーニバル、当日の交通手段の確保は至難の業。

夕方になりホテルのフロントに行って「タクシーを呼んで下さい」と頼み、ワクワクしながらラウンジで待っていました。リオデジャネイロのホテルなのでもちろん英語が通じます。

30分待ち1時間待ち…しびれをきらして「まだですか?」と聞いても「もうちょっとお待ち下さい」という返事ばかり。フロントは世界中からの観光客でごった返していました。
2時間くらい待ったでしょうか。今一度フロントに行くと先程のスタッフより英語が堪能な方がお話して下さり、

「世界中からの観光客の会場送迎でおそらく事前予約していない人は待っていてもタクシーは来ない」
「かといって会場の周辺は治安が大変悪くとても徒歩では無事に会場までたどり着けない」

という厳しい現実を話してくれました。私は愕然としラウンジで泣き崩れ、主人がなだめてくれていました。

神様のような方が現る!イタリアからのツアーの皆さん!

通りかかる人が何人も「あらどうしたの、大丈夫?」と声をかけてくれる度に事情を話しますが「ごめんなさい、私達はタクシーを予約しているけど席は残っていないの」と去って行きました。

でも少しするとフロントスタッフと若い女性が私達を指差しながら何か長話ししています。そしてその女性は私のところに来て、

「私はイタリアから来たツアーのガイドをしています。貴方の事情をホテルスタッフから聞きました。これから貸し切りバスでカーニバル会場に行くのだけれど、補助シートが2つあるので二人あわせて◯✕レアルで乗りませんか?」

何ということでしょう!具体的な金額は覚えていませんが二人で日本円で5000円前後だったと思います。もっとふっかけても背に腹は代えられず交渉成立したはずなのに。もしかしたら会社には言わずポケットマネーにしたかもしれないしその現金はどうなったかわかりませんが私達にとって本当に嬉しいお申し出でした。既に席についていたイタリアからの皆さんも温かく受け入れて下さいました。

会場はものすごい熱気。何十万人が大合唱する"Volare"と親切なイタリア人に涙が!


会場に着き、ガイドさんはバスのナンバーを忘れないように控えること、会場は広いのでこの駐車場に戻れるようにゲートの番号も控えること、集合時間厳守でもし出発時刻にいない場合は待たずに出発することなどを説明してくれました。

会場は物凄い熱気でバテリア(太鼓隊)の音が五臓六腑を揺さぶりました。そしてサンバチームとチームの合間にかかったGypsy Kingsの“Volare“を何十万という観客がサビを大合唱!これには気絶しそうなほどテンションが上がりました!日本では某ビール会社の「一番搾り」の歌として有名かと思います。全体的に歌詞はスペイン語ですがサビはイタリア語、それをポルトガル語圏のブラジルで様々な国の何十万の人が歌う。めちゃくちゃな歌詞を口ずさむ人もいたことでしょう。でもみんな会ったこともない隣の人と肩を組んで、“♪Vola〜re!“と歌っていました。私は心温かいイタリアツアー客とガイドさんとホテルのフロントスタッフさんを思い出しながら大合唱に加わりました。

深夜無事にホテルに戻り、ジェットコースターのような一日の心地よい疲れと共に眠りにつきました。

地方都市では通じない英語。でも受け入れる側のホスピタリティと訪れる側のちょっとの努力で不便も楽しい思い出になる。

リオデジャネイロやサンパウロなどの大都市のホテルとは違い、サルバドールで泊まったホテルの方に要望を伝えるのは言葉の壁が高く苦労しました。小さなホテルだったので日本人も珍しかったようでした。

「スーツケースを運んで欲しい」
「タバコを売っているか?」
「両替をしたい」

などちょっとした事がフロントで簡単に解決すると旅行客はありがたいのですが、こちらはポルトガル語が話せないし当時は翻訳アプリはおろかスマホもなかったので、英語✕、もちろん日本語✕、スペイン語を話せるスタッフを呼んでもらって何とかなったという感じでした。

でもそんな状況でもありがたかったのが「この日本人の手助けをしてあげよう」というスタッフの皆さんの姿勢。今は便利なツールがあっても、もてなすこちら側の姿勢は不便だったあの頃と変わらず親切なままであるべきだと思います。

ゲストハウスがオープンしたらゲストさんへの小さなお節介で大手宿泊施設とは違うおもてなしができたらいいなと社長(ダンナ)と話しています。スタッフを増やす際はこのエピソードも是非お伝えしたいと思います。

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