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古賀史健

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古賀史健の note、2018年以降のぜんぶです。それ以前のものは、まとめ損ねました。
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2019年5月の記事一覧

あのしあわせな時間はなんだったんだろう。

あのしあわせな時間はなんだったんだろう。

「まーた工事してますよ。いやになっちゃいますねえ」

乗車して目的地を告げ、しばらく走ったところでタクシー運転手さんが語りかけてくる。ああ、そうですねえ。スマートフォンに目を落としながらぼくは、気のない返事を絞り出す。数日前の出来事だ。

「ヤクルト、13連敗ですってよ。こりゃ監督交代でしょ」

運転手さんが次に投げかけたことばにもぼくは「はー、そんなに」なんて声しか返せない。渋谷の再開発、トラン

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ホームランを打ったことのある人。

ホームランを打ったことのある人。

たらればさんのツイートがきっかけで、ホームランについて考えた。

ホームランっておもしろい。たとえば本がたくさん売れることを「ヒット」と言う。もっともっとたくさん売れたら「大ヒット」だ。どこまでいってもそれは「ホームラン」になりえない。英語の意味はともかくとして、ホームランはそれだけ特別なヤツなのだ。

ぼくは野球経験がほとんどないので、ホームランを打ったことがない。

サッカーの経験はあるけれど

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ぼくにとっての文字数。

ぼくにとっての文字数。

なんだかんだとぼくは、長い原稿を書くのが好きである。

少なくとも短い原稿を書くときよりも、長いものを書いているときのほうがうれしい。なにがなんでも書きたい人間ではないものの、どちらか一方を選べと言われれば、長い原稿を選ぶ。それはきっとぼくの出自、また世代がおおきく影響しているのではないかと思う。

ここにも何度か書いた話だとおもうけれど、ぼくがフリーになって最初に請けた仕事は、チラシだった。日帰

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バトンがつながれる日に。

バトンがつながれる日に。

ぼくの会社は、名前をバトンズという。

どの会社でもきっとそうだろう、この社名にたどり着くまでには、紆余曲折があった。最初に考えたのは「ライターであるおれは、この仕事を通じてなにを提供したいのだろう?」という問いだった。浮かんだことばは、「読書体験」だった。自分は知識や教養を提供したいのではないし、そもそも一介のライターである自分は、鼻を膨らませて語るほどの知識や教養を持ち合わせていない。提供した

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好きな本を再読するように。

好きな本を再読するように。

人間ドックに行ってきた。

前回行ったのが、たしか一昨年の年末。とくに不調を自覚しているわけではないものの、安心を購入するつもりで久しぶりに行ってみた。まだ血液検査の結果待ちではあるものの、おおむね問題はなかった。身長が縮み、体重が増え、視力が大幅に低下していたのだけど、それは予想できたことだった。競技場から出発し、遠くへ遠くへ走り出したマラソン選手が、再び競技場へと戻りはじめている。折り返し地点

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本を選ぶときにぼくのやること。

本を選ぶときにぼくのやること。

今月のはじめ、幡野広志さんに一冊の本をすすめられた。

それは写真についての本で、寡聞にしてぼくは、その本の存在も、作者の方のお名前も存じ上げなかった。本を手に取り、パラパラと目次をめくって、「プロってなあに?」という項を見つけた。ページをたどって確認すると、作者は「プロ」について、こう定義していた。

〝 私の場合、何をしてプロと呼ぶかと言えば、絶対的な安心感だと思います。つまり、どんなアクシデ

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幡野広志さんの新刊によせて。

幡野広志さんの新刊によせて。

たいせつな本が、刷りあがってきた。

写真家の幡野広志さんによる『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』だ。糸井重里さんからご紹介を受け、幡野さんとはじめて会ったのが去年の7月。そこからともに、たくさんの方々のご協力を得ながら本づくりをすすめ、一年近くかかってようやく来週の5月28日、店頭に並ぶ。

幡野さんの思い、幡野さんの問い、そして幡野さんの答えが、たくさんの人たちに届いていく。

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夏のシャワーと缶コーヒー。

夏のシャワーと缶コーヒー。

学生時代のアルバイト先に、かっこいいおじさんがいた。

顔がよかった。声がよかった。センスもよく、話もおもしろかった。お名前こそ失念してしまったものの、おじさんと乗る配送トラック、流れる景色や煙草の煙、終わりのない馬鹿話は、なんだかとてもまぶしく思い出される。

おじさんにしばしば、買い出しに行かされた。弁当を買いに出たり、缶コーヒーを買いに出たり、それもぼくら学生バイト男子たちには、うれしいこと

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『生きているのはなぜだろう。』

『生きているのはなぜだろう。』

ものの起源をさかのぼる本。 

ほぼ日から出版された絵本、『生きているのはなぜだろう。』(作・池谷裕二、絵・田島光二)をひと言であらわすと、そんなことばが浮かんでくる。編集担当者のスガノさんから手渡しで一冊いただき、その日のうちに読み、何度も何度も読み返しながら、うまく感想をことばにできずにいた。いまでもそれができるものなのか、自信が持てないままでいる。

古代ギリシア・ローマ人は芸術に七つの活動

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おれにぴったり、を探す旅。

おれにぴったり、を探す旅。

平成の30年史を振り返ったわけじゃないけれど、先日ふと思った。

美男・美女の条件として「顔のちいささ」が挙げられるようになったのは、たぶん平成に入ってからだよなあ、と。

時代劇の俳優さん、あるいは舞台に立つ演歌歌手さんなんかだと、顔がでかいことをほめられていた時代が、確実にあった。「舞台映えする」とほめられ、その迫力が風格と同義だった時代が、確実にあった。里見浩太朗さんや北大路欣也さん、高橋英

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問いかけるメモ帳。

問いかけるメモ帳。

ああ、おれはこれからなにを書くんだろう。

百貨店の文房具売り場に足を運び、筆記用具のコーナーに歩を進める。廉価なボールペンから高級万年筆にいたるまで、さまざまなデザインの筆記用具がそこには並んでいる。もちろんペン選びの基準は、価格や意匠だけではない。書き心地こそが、もっとも重要な判断材料だ。

そういうユーザーのこころを先読みしたかのように、筆記用具コーナーには試し書き用のメモ帳が備え付けてある

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たっぷり息を吸い込んで。

たっぷり息を吸い込んで。

うすうす知っている、という言いまわしがある。

語義から考えるとこれは「ぼんやりと知っている」状態を指すことばだけども、多くの場合「ほんとうはバッチリ知っているのに、よくわからないふりをして他人や自分をごまかしている」状態のとき、使われる。

たとえば、そう。ぼくはうすうすながら知っていた。現在の自分が過去最高に太っているだろうことを。

旅先のお風呂、その脱衣所に体重計を見つけたときに人は、なぜ

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小心者の、おのぼりさん。

小心者の、おのぼりさん。

まだ海外旅行をしたことのなかったころ、二十年以上前の話だ。

知り合いになったイギリス人が、日本の地方都市で暮らすうえでの苦労、もしくはむつかしさについて語っていた。彼は、英語話者の白人男性が日本で受けられる恩恵についてはすなおに認めつつも、やはり日本のどこに行っても「ガイジン」と見られ、ときにエイリアンのように扱われることの面倒さを嘆いていた。

イギリスでは違うのか。ぼくの質問に対して彼は、ぜ

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接客業としてのタクシードライバー。

接客業としてのタクシードライバー。

ぼくはしばしば、タクシーを利用する。

むかしは、タクシーなんて金持ちの乗りものだと、目の敵にしていた。乗れるようになってからもしばらくは、ちょっとずるをしているような、罪悪感と引き換えに乗車しているような居心地の悪さを、どこかに抱えていた。そして日常的に乗るようになった現在、あのころの自分は誰と——あるいはなにと——闘っていたのだろう、と不思議になる。タクシーにかぎらず、若いころのぼくはいろんな

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