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古賀史健

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古賀史健の note、2018年以降のぜんぶです。それ以前のものは、まとめ損ねました。
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2018年2月の記事一覧

歯抜けと間抜け、その腑抜け。

歯抜けと間抜け、その腑抜け。

歯が抜けている。

一見してそれとは悟られないものの、大口を開けて笑ったりすれば即座に違和なる空洞を発見されるであろう場所の歯が、見事に抜けている。歯科医によると、ここの歯抜けを1か月ほど放置して歯茎が固まったのち、ようやくインプラントの施術に取りかかることができるのだという。つまりぼくはこれからしばらく、歯抜けの権兵衞として生きていくことになる。

コメディアンが「間抜け」なキャラクターを演じる

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本というオウンドメディア。

本というオウンドメディア。

最近ずっと胃の調子が悪い。

体調がすぐれないと、気持ちのほうまでよろしくない感じに流れていって、当たり前のように心と身体のつながりを実感する。と同時に、この胃痛は心因性によるものなのかもしれず、心が先なのか身体が先なのか、ほんとのところはよくわからない。ただ、どっちも悪くなってからようやく、おのれの「疲れているんだなあ」を自覚する。

疲れていてよくないのはぼくの場合、文章が粗くなってしまうこと

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笑顔でいられることの意味。

笑顔でいられることの意味。

なんであんなに笑ってられるんだ。

カーリング女子のLS北見、通称「そだねーJAPAN」。見どころだらけと言ってもいいくらいに充実していた平昌オリンピックにあって、ぼくがいちばんたくさんの時間を費やして考えたのは、彼女たちの笑顔だった。

いまからちょうど二十年前、1998年のサッカーW杯フランス大会。前大会最終予選の「ドーハの悲劇」を乗り越え、「ジョホールバルの歓喜」を経て初出場を果たした日本代

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五輪とコーヒー、そして自分を接待するということ。

五輪とコーヒー、そして自分を接待するということ。

思いついたことを思いついたままの順番に、つらつらと。

【平昌五輪】
時差のない韓国での開催とあって、その競技開催時間はほとんどが仕事の時間と重なってしまう。五輪やW杯につきものだった慢性的な寝不足がなくなった代わりに、競技そのものをライブ観戦することができていない。これが東京の夏期五輪、さらには北京の冬期五輪まで続くことを考えると、ひとりのスポーツ好きとしてけっこうな危機感をおぼえる。どうしよう

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馬鹿であることと不勉強であること。

馬鹿であることと不勉強であること。

何度も書いてきたことだけど、おれは馬鹿だなあ、と思う。

もの忘れやダブルブッキングなど、わかりやすい「やらかし」に遭遇してそう思うのではなく、もっと恒常的に馬鹿だなあ、と思っている。反応は遅いし、切れ味は悪いし、割り算以上の算数が苦手だし、たとえば今朝だって、厚労省の年金局からなにかの通知書が送られてきたものの、それがなにを通知している書類なのかよくわかっていない。かなしいくらいに馬鹿である自分

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凡人だからできること。

凡人だからできること。

急いでいるのでさらっと書く。

さみしい、と思うことがある。いや、ほんとうを言うといつもだいたいさみしく思っている。「自分はこういうふうに思うのだけど、みんなはそうじゃないみたいだ」「自分はこれが大好きなんだけれど、みんなはそれほど好きじゃなかったり、知らなかったりするみたいだ」「みんなはあっちで大喜びしているけれど、ぼくにはそのたのしさがよくわからない」。

そんなさみしさに出会ったとき、気づく

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わたしのなかの編集者はなにを語るのか。

わたしのなかの編集者はなにを語るのか。

たとえばライターが、つまらない原稿を書いてきたとき。

ふつう、編集者は修正の指示を出したり、細かく朱入れをしたり、あるいは自分で書きなおしてしまったりして、ひとまずは眼前の締切を乗り切ろうとするだろう。どんなにたくさん言いたいことがあったとしても、そのぜんぶを伝えてくれる編集者はなかなかいない。「これ以上言っても、この人には無理だろうな」と、いとも簡単にあきらめてくれる。そして困ったときの便利屋

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模倣するということの意味。

模倣するということの意味。

まだ『バーフバリ 王の凱旋』のことを考えている。

自分史上のオールタイムベストムービーなのだから仕方がない。ブルーレイは予約済みなので、発売されたらまた何度でも観ると思う。お金をとらない上映会でも開いて、いちいち1分おきに一時停止しながら、その場にいるみんなであれこれ語り合いたいくらい、とにかく何十回と観たい映画だ。

以前、『16歳の教科書2』という本(これはいまでも大好きな本だ)で、映画監督

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こんな映画に泣いてしまうなんて。

こんな映画に泣いてしまうなんて。

職業病だと言えば、それまでの話なのだけど。

本を読むとき、雑誌を読むとき、ウェブ上の原稿を読むとき。どうしてもぼくは「自分だったらどう書くんだろうなあ」を考えながら読んでしまう。結果、とくに批判的な目で読んでいるわけでもないのに、どうしても厳しい評価に行きつくことがある。「もったいないなあ」「惜しいなあ」と残念がったり、場合によっては少しムッとすることさえある。これは、文章表現の巧拙について言っ

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無知の知と、もうひとつの知について。

無知の知と、もうひとつの知について。

『嫌われる勇気』をつくるとき、プラトンの著作を何冊も読んだ。

いちばんとっつきやすく、単純におもしろかったのはやはり、『ソクラテスの弁明』だった。有名な「無知の知」という概念が語られる一冊だ。本を読み返すことなく記憶のままに書くと、「お前よりも賢い者はいない」という神託を受けたソクラテスは、そんなはずはないだろう、とアテナイの知者・賢者たちのもとを訪ね歩く。自分よりも賢いと思われる知者たちと、た

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スパイスとしての理不尽。

スパイスとしての理不尽。

平昌オリンピック・パラリンピックがはじまって、きょうが5日目。

開会式のスタジアムが寒すぎるんじゃないかとか、ノロウィルスが発生したらしいとか、ボランティアが大量離脱したらしいとか、ホテルが足りないとか余っているとか、選手村の食事がまずそうだとか、大会前に語られた野次馬的な不安をよそに、いま最大の問題となっているのは「風」であるようだ。

報道ベースで聞きかじった浅い知識でしかないけれど、そもそ

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なにを言うか。誰が言うか。それをおれが言ってもいいのか。

なにを言うか。誰が言うか。それをおれが言ってもいいのか。

フェイスブックに、「過去のこの日」という機能がある。

去年のきょう、一昨年のきょう、三年前のきょう、あなたはこんなことを書いていましたよ。あなたはこんな記事をシェアしていましたよ。などを教えてくれる機能だ。これは大した発明というか、ぼくがいまでもフェイスブックになにかを書こうとする動機の半分以上は、この機能のおかげだったりする。来年や再来年の自分に「あのときのお前」を教えてあげたいのだ。

とい

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断り書きにあふれたことばのなかで。

断り書きにあふれたことばのなかで。

ぼくはまだ、今年の大河ドラマをみていない。

例年みているのかと言われれば決してそうではなく、けれども毎年「みればおもしろいんだろうけどなあ」と横目に眺める、それがぼくにとっての近年の大河ドラマだ。そして仮に、あさっての日曜日から大河ドラマをみはじめたとする。おもしろかったとする。ここ(note)に、あるいはツイッターやフェイスブックに、なにか感想を書きたくなったとする。おそらくぼくは「いまさらな

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ぼくのG1レースと、その最終コーナー。

ぼくのG1レースと、その最終コーナー。

まいるチャンピオンシップ。

ほんとうに弱りきったとき、どうしようってくらい追い込まれたとき、「まいったなぁ」のかわりに唱える呪文だ。おやじギャグだと言わば言え。こちらはそれどころではない。いったい、なにがそれどころじゃないのか。なににそれほどまいっているのか。まあ、ご想像のとおり原稿が終わらないことなんだけれど、考えてみればライターになってから20年以上、ぼくは常に「原稿が終わらない」という状況

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