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歯抜けと間抜け、その腑抜け。

歯が抜けている。

一見してそれとは悟られないものの、大口を開けて笑ったりすれば即座に違和なる空洞を発見されるであろう場所の歯が、見事に抜けている。歯科医によると、ここの歯抜けを1か月ほど放置して歯茎が固まったのち、ようやくインプラントの施術に取りかかることができるのだという。つまりぼくはこれからしばらく、歯抜けの権兵衞として生きていくことになる。

コメディアンが「間抜け」なキャラクターを演じるとき、しばしば任意の歯を黒塗りして「歯抜け」の扮装をすることがある。ジャッキー・チェンの映画『酔拳』の師匠なんかは、たぶんほんとうに歯が抜けていた。そして歯抜けのメーキャップがほどこされたキャラクターたちは、泣いても笑っても怒っていても、ただただ間抜けに映ってしまう。


間抜けの理由は「無自覚」である。

たとえばうちの犬はときどき、鼻の先に葉っぱや花びら、ティッシュペーパーなどをくっつけてしまうことがある。当人はそれを知らず、きわめてまじめな普通の顔をしている。

その、なにもわかっていない当人に対する「いやいやお前、付いてるから!」や「鏡見てみろ!」が、たまらなくおかしいのだ。なにも知らない当人のまじめさが、滑稽なのだ。修学旅行生が寝ている友だちの(手足ではなく)顔に落書きしてゲラゲラ笑うのは、顔というキャンバスが当人にとって致命的な死角であることと無関係ではない。

そんなわけで今後しばらく、ぼくの歯抜けに間抜けを見る人は多いと思うけれども言っておく。


気づいてますからね、歯抜け。わかってますからね、間抜け。それでもしばらく、この歯抜け顔をぶら下げて生きていくよりほかないのです。

なんとなくいま、自信を失い腑抜けになっています。