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一見地味な写真にこそ価値がある

昨日は1日かけて、いき出版の「写真が語る 世田谷区の100年」を読みました。

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わたしの地元は世田谷区。生まれ育った場所だからこそ、「え!この写真ってあの場所から見た風景なんだ!」という驚きと親近感があります。現在も面影の残る道から、ビルだらけな今では考えられないのどかな風景まで、とっても興味深い写真がたくさん!

中でもやはり印象に残るのは、人々の暮らしを切り取った写真です。
かつて“玉電”が走っていた三軒茶屋。そのラストランでは、花飾りをつけた玉電(花電と呼ばれたらしい)を見送りに歩道橋までたくさんの人が出てきました。そんな、当時の人たちがなにに心を動かされたか分かるような写真がとにかく面白いんです。

それから、お頭付きの魚を売る魚屋さんがまだたくさんあった頃の写真。開店を祝して店頭には縁起の良い言葉が書かれた「絵片」というものが貼り出されます。今はもう見なくなってしまった文化も、その華々しさに憧れたり…。

そして現在「二子玉川ライズ」があるところには、「二子玉川園」という遊園地がありました。なんと当時「東洋一」と言われた規模のフライングコースターがあったのだそう。「東洋一」ってすごいな、、!

この写真集をみて、一見地味な写真にこそ、ものすごい価値があるのだと改めて実感しました。この写真集に載っている写真は、当時はどこにでもある一枚だったかもしれない。でも、今の私たちが見ると、穴が開くほど隅々まで見たくなる“過去”と“現在”を繋いでくれる不思議な一枚になっているんです。写真ってそもそもそういうものだよなあ、、と初心にかえった気分。
大正・昭和を生きていない私が見ても、なんだか「懐かしい」と感じてしまうのは、変に飾っていない、地に足がついた写真だからこそのような気がしました。

“写真映え”って大事かもしれない。だけど、そればかりになっていない?
将来見返した時に何度も見たくなる写真になっている?
写すものを削りすぎていない?
いまは誰も見向きもしない写真かもしれない。でも、いつかそれが貴重な一枚になるかもしれない。

ありふれた日々を撮る尊さを教えてもらいました。

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