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宣告の翌日

頭の中に脳腫瘍があることがわかった私はその日どのように寝たか記憶がない。とにかくすぐ痛みセンターがある大病院に入院してください、と昨日のMRIを撮ったメディカルスキャニングの医師に言われたので、次の日入院一式をキャリケースに入れて準備をし母と、当時立川にいた叔母が同行してくれて病院に向かった。が、行ってすぐ入院できるものではなかった。私たちはそれを知らなかった。 まず入退院センターに申請をしないとことは始まらなかった。 「えーと入院したいんですけど」と受付で聞いても、入院退院

    • 脳腫瘍だと判明したのは

      私が脳腫瘍を発見できたのは今考えれば、腰とお尻と太ももに激しい痛みがあり、原因不明で十何か所も病院に駆け込み、「線維筋痛症」だとしか思えずにその流れで、ある大病院の「痛みセンター」に通い出し、頚椎のMRIを撮って、たまたま脳に6センチの大きな腫瘍が見つかったのだった。 (本当は痛みと脳腫瘍は関係がないと思うが)この痛みはそういうことだったのか…でも大変な手術を受けるしかないんでしょ。死んじゃうかもしれない。助かっても今の自分ではなくなるかもしれない。これが私の人生か?これで

      • はじめての投稿します

        何もわからないところから始めます。 私は2016年末に16時間の脳腫瘍手術をしてから、その後遺症として身体のバランスが取れなくなり一人では電車に乗れない身体になった。さらに左半身に力が入らず右耳もまったく聞こえなくなった。その上闘病中から重症化した坐骨神経痛の激化で、お尻と太ももなどに灼熱痛という激しい痛みと共存している。  しかも、昨年2023年末に頼りにしていた母が亡くなってしまった。 これはいったい何重苦だろうか? 私は「書くこと」が好きで、ライター経験等あり、エッ

        • 兄に勧められて始めようと思う。経験が衝撃すぎて人に話してもどうせ分かってもらえないと半分あきらめていた。2020年に第15回文芸思潮エッセイ賞で奨励賞を受賞。

        宣告の翌日

        • 脳腫瘍だと判明したのは

        • はじめての投稿します

        • 兄に勧められて始めようと思う。経験が衝撃すぎて人に話してもどうせ分かってもらえないと半分あきらめていた。2020年に第15回文芸思潮エッセイ賞で奨励賞を受賞。